愛を学ぶ

ネガティブさが人とのつながりを強いものにするといいます。
ポジティブなことよりも、
悲しいこと、つらいこと、寂しいこと、傷ついたこと、腹が立ったことなどの方が、
共感しあえるものの深さが違うのだと思います。
ネガティブなことをひとりで抱えるのはそれだけつらく、共感で救われるような気持ちになるからかもしれません。

どれくらいの悲しさであるのか、つらさであるのかは、
人によって言葉で計れないもののはずなのですが、
共感してもらった、と感じると、
自分のそれを理解してもらったような気持ちになってしまいます。
そして、話を聞いた方も相手のその痛みに寄り添いたい、優しくしたい、
という思いがわいてくるような気がします。

もし、その人と同じことをされたら・・・と想像しました(愛されていないという話を聞いた)。
とても寂しく、悲しく、どうして愛してくれないんだという怒りがあるのだろうなと思った。
自分を愛されるに値しない価値のない人間だと思ってしまうかもしれない。

事実はどうなのかわからないけれど(本当は愛されていたかもしれないし)、
少なくとも自分がしてほしいこと、ささやかな望みさえも全く叶えられなかったとしたら、
これからどうやって生きていったらいいのだろう・・・と、
深い悲しみの果てに、生きる気力さえも失ってしまうかもしれないと想像してしまいました。

同じ体験をしていなくても、
その人のそのときの気持ちと同じような気持ちになってしまうことがあります。
たとえ想像での共感であっても、
そう感じた瞬間に、これまでのその人のやってきたことや口にしてきた過去のことさえも、
少し理解できたような、
体験がその人を作ったのだと思ったのです(これもその人のパターンではあったが)。

そして、とても小さな子どものように見えました。

きっとその人のインナーチャイルドは、
ずーっとそこにいたまま同じ情景をいまだに見続けているのかもしれない。
助けに行く方法をその人が知っていたら、
自分が教えてあげられたら・・・
「つらかったんですね」と言うのが精一杯でした。

でも、
自分には、心と体と魂をいつも見守ってくれているものたちがいます。
だからきっと、その人にもどんなときもずーっと見守っていてくれる方々がついている。
どうか、その方たちへ、
あまり悲しい思いをさせないでくださいと心の中で祈らずにはいられませんでした。
「生きていれば、いいことあるよ」
ありきたりの言葉だったかもしれませんが、本当にそう思いました。

とてもつらそうに見える出来事であっても、
きっと魂的には、それらを通して今以上に愛を学んでいくことになるのだと思います。
いろんな形の愛を・・・

99歳で昨日亡くなった瀬戸内寂聴さんも、
「生まれたからにはいっぱい人を愛しなさい」
と言っていましたね。
傷ついても傷ついても愛しなさいと・・・
たくさん傷ついてきた人ほど、愛は深く大きく育っているのではないかと思いました。













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