過信する

自分のことを過信していました。
自分の実力を過大に評価していたのだと思いました。

この自分が判断したことなのだから、大丈夫・・・という、
こ・の・じ・ぶ・ん、というところ。
自分自身を信用して疑わないという、決めつけといったらいいでしょうか。

なぜ、自分を過信するようなことになったのか?

これまで、充分努力してきたことであったし、正直にやってきたことだったし、
結果を出して少しずつ自信がついてきたものだったと思います。
そうやって積み上げてきたものが確かにあったのかもしれませんが、
いつの間にかその仕事に対して、
「自分」を信じてやるというより、
「やってきたこと(やり方)」が正しかったと信じてやる自分、になっていたのだと思います。

今目の前にある現実を受け入れると、
どこかに本当に小さなものだったけれどやはりすっきりしないものがあったのです。
それを、打ち消したいがために根拠を絞り出していたように思います(間違っていない理由を探すため)。

今までうまくやってこれたからといって、
そのやり方がこれからもずっと正解とは限らない・・・
という単純なことに全然気がついていなかった。

自分を信じてやっていこう、というときの「自分」とは、
それが間違っているかもしれないと思える、
今までのことをゼロにできる、
いつでも方向転換できる、そういう「柔軟な自分」でした。

その柔軟さがなくなったとき、
うまくやってこれたことに固執してしまったのだと思います。
暗示をかけるように、自分がやってきたことを信じて大丈夫と、
今までのうまくやってきた自分から、どうなるかわからない自分に変わっていくことが、
ちょっと怖かったのかもしれません。
そして心の深いところで、過信している自分自身に気づいていたからこそ、怖かった、
そうじゃない住み慣れた自分の位置ばかり見ていたかった・・・のかもしれません。

信じることと過信することの違い。
ありたい自分となりたい自分の違い。
今まで必要だった経験から、異なる経験へと変化するとき、
覚悟しての勇気がいります。













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