投稿

感情をみたくない

イメージ
どんな気持ちかと問うときに、 すぐにこれとそれ、っていう感じにパッと感情が出てこない。 ということがあります。 そういうときでも、 何かしらの違和感、不快感(快ではない) を感じているということだけはわかります。 自分の中でその違和感と不快感を認められると、 さらに、息苦しいとか、もやもやするとか、不安になるとか、怖いとか・・・ 自分の気持ちがだんだんはっきりと自覚できるようになっていくけれど、 自分の気持ちをはっきりとわかりたくないというパターンがいました。 どういう気持ちなんだろうって、 違和感と不快感の正体をみたくない。 後回しにしたがるパターンもあるんだと思う。 パターンだと気づいているけれど、 今はまだ感情を見たくないパターンです。 (何で今はまだ見たくないのか?) でも、少しずつ、そこに入り、 胸のあたりをさすりながら言ってみる。 正直に話しても大丈夫だよ。 どんな気持ちだった?と。 パターンでやっていると とにかくネガティブな感情がつきまといます。 でも、その時がまた来ない限り平気で日常が過ごせたりすると、 後回しにしてしまうんだな~ (そうするパターンがいるんだなあ) 連休に入っても、問いかけよう。 あきたこまちって、おかずが何でも合う

天日宮 あまつひのみや

イメージ
秋田の大仙市にある唐松神社に行ってきました。 樹齢300年以上の秋田杉が両側に並び、 細い道の参道を歩いていくと、 その先に下へ降りる階段があって、その下に神社の本殿がありました。 普通は、参道を歩いて行った先の階段を上がり、見上げるような位置に建てられると思うのですが、 唐松神社は見下ろすかたちでひっそりと建てられています。 とても珍しい祀られ方なのだそう。 階段から見下ろすと大屋根がしっかり視界に入ってきます。 神様(天)が上から人間を見ているということはあっても、 神様が私たち人間より低いところにいて見守ってくださるって不思議な感じでした。 地元の方たちが長い間、 この神社を守り大切にかくまっていたかのようにも感じました。 また、本殿に向かう手前には 天日宮(あまつひのみや)という神殿があり、 周りが池のようなおほりになっていて(美しい錦鯉も泳いでました) そこだけ別世界でした。 水に囲まれている様子が胎内を表しているようにも見えるし 古墳や城のようなかたちにも見える。 また、太陽や宇宙を表しているかのようでもあります。 丸い石を集めて規則的に造られた土台も、崩れないよう設計され手がけてありました。 神道の中では一番北に位置する神社がこちらで、 八百万の神ということになります。 奈良時代に物部氏ゆかりの神社として建てられ、 神主さんは物部氏の末えいの方なのだそうです。 八百万の神様って自然の中のあちらこちらに神が宿っていて、 ちょうど稲刈りがこれから始まるこの黄金色の季節は特に、 その恩恵を感じずにはいられません。 私たちの中にも外にも神様がいる。 もっといろいろ知りたくなる神社参拝でした。

ちょうどいい定食

イメージ
昼休みに定食を食べました(夜は居酒屋をやっている)。 肉か魚か、ミックスか、日替わりか、牛すじかを選べます。 焼き鮭、かぼちゃの煮物、ゴーヤの漬物、小魚の佃煮、ご飯、大根の味噌汁 これで1,000円。 食べ盛りの人には物足りないかもしれませんが、 私は食べすぎて眠くなる午後を考えれば、ちょうどいい量でした。 白米がすごく美味しくて、 鮭の塩気がちょうどよく美味しくいただきました。 この値段設定とメニューの種類。 なんかいいなと思いました。 女将さんが一人でやっているため、 食材が高騰している中、安過ぎず高過ぎず、 さらにお客さんも払いやすく店側も受け取りやすい千円札1枚。 これならやっていけると思い、決めた値段なのかな。 しかも、料理はお膳で運ばれてくるのです。 なんか武家のご飯を食べているかのよう~ 足が4つついたお膳は、テーブルを汚すこともなく、 ほとんどのお客さんが、カウンター越しに「ごちそうさまでした」と言って 手渡しして片付けています。 お茶とお水はセルフで、 お手拭きはテーブルの上にまとめてありました。 きっとお店を出すときに、 一人で無理なくやっていくには・・・って考えたのだと思います。 自分のやれることと、ここはゆずれないというところ、 そのバランスが大事だと思うし、 お店を出すからには、 一元さんではなく通ってもらいたいという願望もあるはず。 お客様第一なのか、 自分第一なのか・・・。 自分第一だからお客様も大切にできる。 (勝手にいろいろ想像する) 自分のしたいことと現実とのバランスを考えるって、 何をするにも大事なんだなあ。

祭りの音

イメージ
盛岡の秋祭りはずっと雨に見舞われ、 やっと晴れた最終日。 辛うじて山車を見ることができました(動いてないけど~)。 それだけでも嬉しい! 遠くの方からは太鼓や笛の音、鐘の音、 音頭の唄声も気持ちよいほど響き渡り聞こえてきます。 祭りの音を聞くのがとても好きです。 街中が浄化されるといったらいいか~ 神社でパンパンと柏手を打つときのような、 周辺の淀んだ「気」もパッと切り替わるような、 祓ってもらっているような。 心がすーっと洗われる感じがあります。 神さまが私たちの街を守ってくれていることを感じながら 家路に着きました。

欠けてはいけないこと

イメージ
今月も新たに 大学生 を迎い入れ、 自分はここから何を学んでいるんだろうって思います。 私自身も都内の関係機関へ出向き実習を受けたことがありました。 でもそのときはもうすでに社会人だったので、 学生のような初々しさは全くなかったと思う。 (おばさん頑張ってまーすという感じはあっただろうけど笑) 研修先でやっているような業務は、 初めてでわかりませんということもなく、 多少自分が知らないことであっても観察していると何を意図しているのかもすぐに理解できるため、 ここへ勉強しに来ているはずの身分を忘れてしまうような心持ちになっていったのでした。 勉強になることもたくさんあったはずなのに、 仕事のやり方の違いにばかり目がいき、 こうした方がいいのに何で?と、否定的に観察していたように思います。 自分の方が正しいというパターンで物事をみていた。 自分の方がもっと難しい業務をしているからわかるとか、 自分ならこうするとか、 自分ならそもそも、もっといい研修内容を実習する人のために考えるとか。 ホント恥ずかしい話ですが、 あらさがしのようなことをして、 何やっているんだ、あの時の自分よ・・・と言いたい。 表面的には教えて下さいという態度をとっていたと思うけれど(大人の対応)、 私の中身がそういうパターンで物事を受入れていたため、 相手も、この人には自分が知っていること全て教えてあげよう! とは、たぶん思えなかったでしょうね。 貴重な期間をあろうことに私はただ不満を抱えて終えた記憶があります。 だから今、自分を客観的に見てみると、 自分が普段大事に思っていることを学生たちへ惜しみなく伝えたり、 学生が学びたいことをもっと提供できないかと考えたり、 そして自分が学びたくて学生からたくさん話を聞いています。 でもそれは自分がそうしたいという思いと、 そうしたいと思わせる相手の姿勢がそこにはある。 その姿勢が見習うべき素晴らしいこと、 自分に欠けてはいけないことだと感じています。 初心忘るべからずの心です。 今後どんな学生さんが来ても、 たとえ、過去の自分のような心のありようで研修にのぞむ人だったとしても、 (そういう人いないと思うけど) 自分は自分自身のためにも、その方のためにも、 今の自分のあり方を確認するかのように 関わっていきたいなあって思うのでした。 明日もよろしくお願いします...