同級生

母がいつもスーパーまで一緒にお買い物に行くお友達がいるのですが、
ある日突然、誰にも何も言わずにどこかへいなくなってしまいました。
いなくなる前日の夕方、その方の家で母はおしゃべりをしていて、 
「じゃあまた明日ね」と言ったのだそうです。
しばらく経ってから、
遠くに住んでいる息子さんが、心配して連れていったのではないか、という噂を近所の方から聞いたそうです。

母とそのお友達は同じ年で、わりと最近(ここ5~6年?)親しくなったような感じでした。
母が大腿骨を骨折して入院したときも、留守電に、
「元気になってくださいね。待ってますよ。」とメッセージが何度となく入っていました。
80歳を超えてからお友達になるって、なんかいいなあ~とふたりを見ていて微笑ましく思っていました。

その方がだんだんと歩けなくなってきて、スーパーに行くのも大変になり、
一人暮らしがおぼつかないような感じがありました。
認知症の母が心配をするほど、いろんなことを忘れるようになっていきました。
母はよく「忘れるんだから、ちゃんとメモしておきなさいよ」と、
同級生の友達をたしなめるように話していました。
そしていつも「わたしたち同級生なのよ~」とお互いにいいあい、うれしそうでした。

この一年、その方はますます歩けなくなり、よく転ぶようになっていきました。
そのたびにお世話してあげたり、救急車へ母が一緒に付き添ったこともありました。
ご飯を作って持って行ったこともあったし、財布を無くしたときは、お金も貸したのかあげたのかわかりませんが、
とにかくいろいろ困っているのがわかると助けてあげていたようです。

今、そんなことを思い出しながら、
母はとても怒っているようなあきれているような話し方をしています。
あんなにひどい足の状態にもかかわらず、絶対病院にかかろうとしなかったこと、
物忘れがひどくて(母だってすごいけど)、自分との約束をしょっちゅうすっぽかしたこと、
一緒に何か食べようといえば、いつも同じラーメン屋さんにしか行かなかったこと、
などなど一見悪口か?と思えるような話が次から次へと続きます。
母はそのお友達が大好きで、もっともっと長く、楽しく、過ごしていきたかったんでしょうね。

そして最後は、
「わたしに何も言わないで行ってしまって・・・そういう人だったのよね」と寂しそうに言うのです。
ちゃんと病院へ行って足を直して、一緒にスーパーへ歩いて行きたかったのだと思うし、
もっと頭がしっかりしてもらわないと、一人暮らしができなくなると思ったかもしれません。
ラーメン屋さんもいいけど、おしゃれな喫茶店にもふたりで入ってみたかったのだと思います。

そのお友達はよく、「娘さんが近くにいていいね」と母に言っていたようです。
そう言われる母は、それだけわたしの話をよくしていたのかなと思います。
だから、その方も口では息子さんの世話にはならないと言ってはいましたが、
本当はもう一人で暮らすのは無理かもしれないとわかっていたかもしれません。
そして、とても不安で、寂しかったのではなかっただろうかと思います。

自分もそんな母をここ数日みていて、
はじめは、あんなに仲良くしていた母に一言も言わずにどこかへ行ってしまうなんて・・・
なんて失礼な!と思いました。
でも、母が「そういう人だったんだね」といったのは、
負けず嫌いのお友達の一面を知っていてのことだったようです。
病院へも行かない、自分はしっかりしている、誰の世話にもならない、
それら全部くつがえしてしまうような行動を取るしかなかったことを、
その方は『同級生の母』に見せたくなかったのかもしれません。

年を取ってもこんなにいろんなことが起きて、
全然心穏やかでも何でもないし、むしろ、何とも言えないような悔しさや後悔や寂しさまで、
まだまだいっぱい用意されているんだと思ったら・・・人生ってすさまじいなと思いました。
これもわたしの人生ではなく、母の人生であるため、母が向き合っていくこと。
認知症だからそれは荷が重いとか、もう高齢で残り少ない人生だからとか、
まったく関係ないのかもしれません。

それを思うと、今自分に与えられる壁、課題、つらいことなどあってあたり前・・・
って思う。
















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