夫婦としての「私」
夫婦とは・・・を語るには、まだまだ全然未熟なわたしですが、
夫とのふたり暮らしについては、この数年でちょっとした変化を感じるようになりました。
何が変わってきたかというと、ふたりの生活であっても、『わ・た・し・の生活』をしているという実感。
自分を大事にできる日常が送られている、と感じる日が多くなってきたことです。
とは言っても、物理的には同じ屋根の下で暮らしていますので、
夫にあわせた時間で食事を準備したり、食べたいものがあればすぐ作り、
テレビもふたりのときは一緒に見て楽しいと感じる番組を見たり、
日記を書くためにPCに向かうのも、夫が何か話したそうにしているときはやらないようにしています。
出かける予定も、タイミングも状況をみて(夫の不規則勤務を一応確認して)動いていることが多いかなと思います。
他の夫婦はどうしているのかわかりませんので、
これが普通なのか、そうでもないことなのかどうなんでしょう?
娘が一緒に住んでいたころは、子どもと夫のどちらにも合わせるという臨機応変さが必要だったのですが、
ふたりになったことで、単純にどっちかがちょっと我慢(というほどの我慢ではないが)すれば、
何でもスムーズにいくのがお互いにわかってきたように思います(我慢という名の思いやり?)。
そして、それが楽に無理せず暮らせるコツ?でもあるというか・・・。
そして、もう一つは、以前よりもまして話すようになったかもしれません。
お互いの状況を察することに神経を注いでいたところがありましたが、
ちゃんと話す、理由を伝える、ということを大事にするようになりました。
相手にわかってもらうことよりも、
自分の状況や、そのときの気持ちや、なぜそうしたかの動機など、
自分に起きていることを言葉にしてみる、という感じ。
言葉にすると、頭が整理され心が整理され、
自分自身が落ち着くところに落ち着いてくるような感じがします(パターンで話せはその逆もしかり)。
わたしは夫にとって、二度目の結婚相手であるため、
結婚したときから娘と三人での生活がスタートし、いわゆる新婚生活という体験がなく子育てをしてきました。
だからなのかもしれませんが、ふたり暮らしは新婚のような新鮮さをちょっと感じていたように思います。
若ければそれはそれで、幸せいっぱいで何も不安はないのでしょうが、
この年齢になると、このままではお互いが依存しあう関係になってしまうのではないかという怖さがありました。
あなたがいないとやっていけない・・・という絶対的な関係性から、
本当に少しづつですが、「私」とあなたが成長しあえる関係性を築いていきたいと思うようになりました。
自分を大切にしていくことができれば、相手も大切にできます。
自分を大事にするということは、自分の中にあるたくさんのパターンを一つ一つ許していくということ。
それを日常の中でやっていけたら、それはもう『わたしの生活』にも生きてくるし、
良い夫婦関係としても影響されないはずがないと思うのです。
今、もしも夫がいなくなってしまったら・・・
力強く明るく元気を出して生きていく自信はまったくありません。
ただただ寂しく悲しく、夫のいない世界は目の前が真っ暗になると思います。
でも・・・今はそう思うけれど、
夫婦でいた時間、自分が夫から学び、受け取ってきたものは、もしかしたら、
夫がいなくなってからもなお、自分が生きる力となってくれるのかもしれないと、
本当に本当にかすかにではありますが想像することができるような気もします。
そこを自分が求めるかどうか、なのかもしれません・・・
今わかることは、そんなかけがえのない存在の人が、今自分にはいるということ。
幸せを感じている自分がいます。
だから、今日一日をちゃんと選んで生きて、幸せを感じて、
たくさん語りあって、今までしてこなかったこともたくさんやってみて、たくさんありがとうも言っていきたいです。
これからもいろんな苦難があるかもしれないけれど、
それでもなんとかやっていかれる、とつぶやきながら、
夫婦でいられる間、ずっと「私」がそれをしていきたいです。
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