そこにいるだけで

今日は父が暮らすホームへ行ってきました。
母もデイサービスの日でおじゃましていましたので、ふたり一緒にいるところを久しぶりに見ました。
ふたり並ぶと何だか顔が似てきている・・・元は他人なのに不思議ですね。

母にはデイサービスに行くときは、あれだけ補聴器を付けていくように言っているのに、
やっぱり付けて行ってませんでした。
案の定、父の蚊の鳴くような声を聞き取ることができず、
せっかく何か言っているのに反応してあげない母を見ていて、じれったくなってしまいました。
たまに何かむにゃむにゃっと声を発すると、
自分だったらとてもうれしくて必死で何を言っているのか耳をすまします。
でも母は違っていて、そんな娘の思いなど大したことではないという感じです。

それでも、ポロシャツのえりを直してあげたり、一本びよーんと伸びた眉毛を切ってあげたり、
いろいろ身だしなみを整えてあげようとする姿は、自宅にいたときと同じで、楽しそうに見えました。
子どもの自分にしてみれば、やはりこういういつもの両親をみれるというのは、ありがたいことです。

久しぶりのホームには、新しい人が何人か入ってきていて、
その方たちが座っているテーブルは少し緊張した雰囲気がありました。
父もそうでしたが、入ってすぐは、ここはどこ?なんで連れてこられたんだと、
どんなにやさしい言葉をスタッフがかけても、警戒心むきだしだったと思います。

新しく入ってきたある女性もそんな状態のようでした。
なかなか慣れてくれず、スタッフも接し方で悩んでいると言っていました。
その女性は、たしかに少し緊張した面持ちで怖そうな表情をしていました。
でも、父がとなりに座っているときだけは何か落ち着くのか、
だんだん穏やかな表情をするようになってきたそうです。

父は、その女性のとなりで昼ご飯を食べ、その後母も休憩しに行ったため、
一人うとうとしはじめていました。
そのうち、だんだん父の体が傾いてきて、もう少しで頭がその方の肩にのっかりそうになり、
わたしはひやひやして見ていました。
「なんかね、あういうのもいいみたいなんですよ」
えっどういうこと???
その女性はちらっと父の方を見たくらいにして(若干、顔がゆるんだように見えた)、
頭が寄りかかってもそのままでいました。

スタッフの方も、何十年とこの仕事をしてきて、
あのような関わり方はめずらしいと言っていました。
父のことを、自分を慕ってくれている人、安心できる人だと思っているかもしれないね、と言っていました。
それって、息子?父親?夫か恋人?どういう存在に見えているのでしょう。
となりに座れると機嫌よくしてくれるというので、スタッフの方たちは助かっているそうです。
隣りにいるだけで役に立つ、ってすごいなと思いました。

介護施設の人間模様はとてもおもしろいです。
他にも父のことを弟と同じ歳だと言ってかわいがってくれている方がいて(たぶん90歳くらい?)、
妻である母がデイサービスに来ていると、母の面倒もみてあげようとするそうです。
それでも、気が合わない人同士、ケンカはしないまでも機嫌が悪くなるという人もたくさんいるようで・・・(父もスイッチが入ると大変)。
おもしろいことに、そこに違う人がひとり入ると、中和されて丸くおさまるということもあるそうです。
認知症といっても、社会性は最後まで残るようで、
人からどう思われるか(よく思われたい)という気持ちは結構の方が持っているそう。

自分にもある●他人から嫌われたくない、というパターン。
この年齢になっても、しかも記憶を失っても、まだある人はあるんだ・・・驚き。

ホームではホームの社会があって、みんなまだパターンも持っているんだということが
妙に人間ぽくていいなと思いました。
またそこからスタッフの方たちが、お年寄りだから、何も言わないからいいではなく、
自分事として、また自分の家族だったらと想像しながらどうなんだろうって、その微妙なやり取りをしっかり見ています。
そういう話を聞くと、ここのホームに父が入って本当に良かったなと思います。

自分は今、年老いたふたりより当然、耳も聞こえるし会話もできるし、理解力もあるし、
人とのコミュニケーションは取れる方だと思っていますが、
人と、そ・れ・な・りに関わっていく能力に関しては、自分より上だと思いました。
聞こえないことがあっても、会話が成り立たなかったりしてもそこにずっといられるってすごい。
間が持たない・・・ということがないんですね。
そして嫌だと思う人のそばにいても、見えない壁を作ってそこで何ということもなく過ごすことができる。

そこにいるだけで、まだまだ子どもへ人生の先輩として自分の姿で教えてくれる親にはかないません。












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