特別な日

ゴールデンウィークの5日間、自分の中ではやりたいことがあります。
それは読書と掃除、片付けです(そんな声を大にしていうほどのことではないが)。
読書はこの期間のために、読みたい本を3冊購入してありますので、
公園のベンチや喫茶店で、または夜の時間にゆっくり読みたいなあと思っています(たのしみ〜)。

昨日今日と夫も休みだったため、
昨日は買い物がてら、ちょっと遠くまで足をのばして暗くなるまでドライブを楽しみました。
自分としては、昨日たくさん遊んだので、
今日はいつもしていない場所の掃除をして家で過ごそうと思っていました。
朝から雨が降っていて小寒くて、こういう日はこもるのにちょうどいいなあと思ったのです。

ですが、夫はこの雨の中、まさかのまたしてもドライブに行きたいというのです。
えーーーー、自分はまったく行きたいとは思わない・・・

朝から読書をして布団から出ず、行きたくないオーラを放っていたのですが、
夫はそれには屈せず、なぜそうしたいのかを話してきます。
明日から仕事が始まるから(しかも忙しくなるので)、今日までは好きなことをして過ごしたいと言う。
つまりは、自分に合わせてくれ、ということなんだなと。

こんなとき一番いい方法があります。
白と黒の部屋に入ってみて「私」がいいなと直感で選ぶというもの。
いろいろ考えずにまず入ってみる。
すると、本当はどうしたいのかがわかります、軽く明るくほっとする感じがありますので。
選ぶ理由はつけずに、ただただそうなったとき、どっちがいいかだけ感じます。
意外なことに、
白の部屋(夫にはつきあわないで、家で掃除をする)も、
黒の部屋(夫につきあって、掃除は明日以降にする)もどちらもぱっとしませんでした。

どちらかに軍配があがるはずなんですが、
ごくたまに違いがほとんど感じないということがあります。
そこで、究極の選択として自分がときどき使っているのは、
もし明日、人生が終わるとしたら・・・どっちを選ぶのか、というもの。
こうすると、「私」が選ぶものははっきりしました。
今日は夫につきあおう!を選びました。
選ぶと状況が一変に変わり、霧が晴れていくように準備が進みます。

結果的に、とてもいい一日になりました。
途中、わたしが居眠りをして空白の時間も長くありましたが、
ただ、一日一緒にいるということが良かったと思いました。
昨日とは違って今日はお互いの子どもの頃の話をしたり、共通の知人の話をしたり、
どんどんタイムスリップしていくようでした。
そうやってたくさんいる人間の中で出会えたことは、夫婦になるってすごい確率だなあと思った。

そして帰りに、夫がよく子どもの頃友達と遊んだという神社へ行ってみました。
この神社はうっそうとした森の奥深く、坂道を2キロくらいのぼってやっとたどりつく所にあるのです。
子どもの足でよくこんな所までのぼって来たなと思うと同時に、
夫の足腰の強さはここからきているんだと思いました(ここからさらに遠くまで遊びに行っていたらしい)。
ここには結婚する前に一度、やっぱり自分が小さい頃の思い出の場所という紹介?で、来たことがあったのです。
樹齢1300年の大きな杉の木があって、当時、その木に手を伸ばし抱くようにして、
「すごいな、ずーっとここで生きてきたんだ」というような話を二人でしたことを覚えています。

あれから20年以上、来ることがありませんでしたが、
今日だいぶ遅くなってしまいましたが、神様に結婚できたこと、幸せに暮らしていることを報告できてよかったです。
このための今日だったんだなと思うと、とても特別な日に感じました。
夫よ、誘ってくれてありがとう。










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