誕生日の決意

今日は師匠とわたしの夫の誕生日ということで、
目覚めるとなんだかうれしくてじっとしていられず、
朝ひとりで散歩に出ました。
山と山の間から登る太陽を見ていたら、
手を合わせる自分の胸のあたりに光がすーっと入ってくるような感じがありました。
いつもの景色がとても鮮やかで、まぶしく輝いて見えます。
ものすごい数の出会いの果てに、特別な存在として出会うことができたというこの奇跡を思うと、
少し勝手な妄想ではありますが、
自分にいろんなことを気づかせてくれるために、会いにきてくれたんだ(生まれてきてくれた)と感じてしまいます。

一期一会という言葉は、毎日は意識することがなかなかできませんが、
誕生日や記念日、また誰かとお別れするようなことがあったときに感じるものかもしれないです。
「また明日ね」と言っても明日本当に会えるという保障はどこにもないのです。
だから、この感覚は自分にとって大事だと思う人にこそ持っていたいし、
今日伝えたいこと、聞きたいことはなるべく今日のうちに話したいし、
「ありがとう」はもう何回言ってもいい言葉なんだなと思いました。

昨日の岩手セミナーでもマントラ(真言)を自分で作るというワークがありました。
自分は感覚的なオノマトペのような言葉しか出てきませんでしたが、
唯一「大丈夫、大丈夫」と「ありがとう」が、今の自分を守る言葉として出てきました。
天に向けて、全ての生きものに向けて、そして自分自身に向けて放つと、
放ったはずの言葉が何倍にもなって返ってきて「私」を包み込んでくれる・・・
そんな言葉の力を借りながらこれまでやってこれたのかもしれませんし、
これからも上を向いて、空を見上げれば、
ほっとするような勇気がわくような、自分にぴったりの言葉で教えてくれるんだと思います。

それにしても・・・師匠のお誕生日をお祝いさせていただき、
感謝と幸せな気持ちをたくさん味わわせてもらいました。
いつもの焼肉屋で「うーん、肉美味しい~」と屈託のない笑顔で連呼しておりましたが、
美味しく食べられるその健康な肉体があってこそ、自分たちも学べるわけで、
そこにご家族の協力もあり、同じ時間を過ごすことができるというのもある意味奇跡です。

そして、奇跡だけど、なるべくして成っているということも感じます。
これから自分が何か間違った方向へ進んでいるとき、そこになかなか気づけないでいるとき、
きっと何度でも奇跡を使い、何かの出来事(試練)を通して天はまた教えてくれることと思います。

あっという間に人生が終わってしまわないだろうか・・・
と時が経つのが本当に早く感じるこのごろです。
少しでもこの世で長く学びたいから、だから肉体も大事にしたい。
そして、肉体に終わりがきても天がまだ「私」を成長させようとしているとしたら、
今から、小さな出来事の中にある小さな感情の芽を(パターンを)一つ一つ救っていきたい。

どうか、出会う方たちをめいっぱい使わせてください。
それができることをきっと生まれるときに約束してきたのだと想像し、
楽しく、感謝しながら、時にもがきながら、腹をすえてやっていきたい。
ゆっくりゆっくり自分の感覚を大切にして、いろんな感情を楽しんでいきたい。
そして、楽しむだけじゃなく、やるときはやる!の精神でやっていきたい。












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