自分という材料

大宇宙から見れば、自分ってどんなふうに映っているのでしょう。
何をしているかは表面的なもので、何を感じて何を思ってどこに向かって行っているのか、
ほんの点のような存在の自分でも、宇宙からはその内側は難なく見えていて、
それが必要なものへと寸分の狂いなく影響をあたえあっているように感じます。

例えば、今目の前にいる人、後ろの方で声だけ聞こえている人、事務的に関わっている人、
信号待ちでのとなりの車の人、いつもそばにいる人などなど、
そんな小さな空間(世界)の中でさえ、一日に何度も何かを影響し合うということが起きています。
どこかの誰かに向かって、
その人の内側に持っているものが、何かしらの波動というかエネルギーというか、
放たれてはどこかに届いていることを思います。

その中には自分にとっていいものだけでなく、不快に感じるものもあって、
その場合に、どうやってその「不快」から少しでも「快」に近づけられるよう転換していくのか、
自分の采配一つにかかっているようです。
全ての細胞を使って、全ての資質を使って、
少しでも本来のあるべき状態へ戻していこうと「私」ならばやっていけるのです。

他人が放つものをパターンで受けるのか、「私」で受けるのか。
それらの積み重ねで、自分の内面の奥深いところから湧き起ってくることもあります。
自分という肉体や精神に影響をあたえているというのは、自分自身なのです。
元気でいられることや幸せを感じられることもそうですが、
病気やケガをすることもそうだと思います。
もっと単純には、今どんな気持ちでいる?というところ。

そうやって、生まれてから何億回の感情と思考を生み出しながら、自分の心と体に留まらず、
その周りにいる人たちへもそのエネルギーのかけらが届けられ、
本来の自分の内側にあるものとつながっていく・・・
だから、どんなものを自分は放つのか、何を受け取りたいと思うのか(選ぶのか)を大事にしたいなと思いました。

見えないもの、感じるだけのものを自分の中に落とし込んでいくような作業。
形がないものなのに、それらを材料として自分が形作られていく作業が毎日行われているんですね。
それが、生きていくことのおもしろさでもあり、楽しさなんだと思います。

今日も一日、何かに誰かに影響されて生み出されるものがあるかもしれないし、
自分の中から何かを生み出していくかもしれない。
それによってまた自分という人間をせっせと作っていくんだなあと思います。






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