がんばりすぎないように

今、ケアをしている、
●○○さんを嫌ってはいけない、の白パターンとして、
新しく浮かんだものが、
〇もうそこに居続けなくてもいい、でした。
イメージとして、荷物をまとめて「じゃあね~」と明るく言って出ていく感じ。

黒パターンの部屋に入ったときの感覚を味わっているとき、
この先もずっと、この息が詰まるような、重苦しい世界の中だけで生きていたくはない、と思った。
そして、白パターンの部屋に入ると、
今までとまったく違ったことができる、感じられる、考えられる、新しい自分になっていけるんだ、
だからもう、あの部屋に居続ける必要はないんだよ・・・
そういう声がしました。
今はこれがすごくしっくりきます。

黒パターンの真逆で白パターンを考えると、
○○さんを嫌ってもいい、になるのですが、
嫌っていいと思うことで、なかなか心は軽くはなっていかなかった、というのがありました。
これは、嫌っていいということはちゃんと理解しているけれど、
本当は、嫌っていくこととは違う選択をしたいと思う自分がいることも感じている(嫌うことを否定するのとは違いますよ)。
かといって、
もう好きとか嫌いとか考えたり悩んだりすることに、執着しない、こだわらない、
ということ自体に、結局こだわり続けているような感じがありました。

そして、一つだけ、安らぎや軽さや明るさを感じられるとしたら、
●○○さんを嫌ってはいけない、というところに自分がいつまでも居続けていること、縛られていること、
そこから脱出できたときの自分かなと思います。
そうなれたら、ほっとするだろうなあ。

現実には、ではその黒パターンの部屋を出ることを選んだ後は、どういう行動をとればいいのか、
まだ先があります。

好きとか嫌いとか、どっちかの感情しかないと思うことをやめてみる、
もし嫌だなと感じたら、その感情をちょっと横においておいて、休憩に入る(頭、できれば体も)。
思考をストップさせて、感情をちょっと横においておいて・・・
これをやってみています(実験段階)。

もしかしたら、パターンをおもりできずにいる未熟な「私」が、ちょっと息切れしているのかな、と思いました。
パターンのケアって、頑張って力んでやるものではないですね。
もうちょっと、ゆとりというか、隙間を作りながら、息をしながら、ゆったりと、微妙な良い変化を感じながら、やわらかく・・・。
自分にはそういう細やかさが、今とても必要。



















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