一緒にいられるのは「私」

苦しいとき、考えることに走ってしまうことがあります。
苦しいところから逃れるために、
自分はどう行動したらいいか、また、どう考えたらいいかを一生懸命考えたくなってしまうんだと思う。
ここは、本当に気づきにくいと思いました。
そして、考えているということは、パターンがやっていること。
パターンがやっていたんだ・・・と気づきにくい。

でも、パターンが考えたことだから、もやもやは消えないし、苦しさも変わらない。
苦しさがあるときは、パターンが考え出していると疑い、軌道修正していこう。
頭ではなく、完全に胸のあたりで感じ取るということをもう一度やっていくのです。
本当の「私」が望んでいることを、ちゃんと感覚の変化で受け取る。
こうやって、自分(本当の「私」)を信じる力も、「私」を使うことで大きくなり、
軽さ、明るさ、広がりを感じらる「私」の出番も増えていきます。
だから、「私」を使っていくというのは、この感覚を苦しさの中でも思い出していこうと思います。

「私」は、充分にパターンが安心するまで、守ってあげたいと思っている。
変わらないでそこにいていいよ、と言ってくれるし、
変わっていけるよ、とも言ってくれる。
大丈夫、大丈夫って、ずっと側にいてあげられるのが「私」です。
なんにもこだわりがないんだなあって思います。

苦しいと感じているのは「私」ではないから(「私」はとにかく軽い)、
だから、「私」はいつまでもどんなパターンとも一緒にいられるのだ。









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