自分をゆるせない

自分をゆるせない、ということがあります。
こんなこともできないなんて、
どうしてこうなってしまうんだろう、
他人ではなく、不甲斐ないのは自分。だから自分を責める。

相手に何か言われて、悔しかったり、落ち込んだり、悲しくなったりということもありますが、
言われてはいないけれど、自分が自分に対して罰するように言葉を投げかけているということもあります。
もっとちゃんとできなきゃだめだ、
こんなんじゃこれから生きていけない、
と自分の存在を消してしまいたいほどに、できないことがゆるせない。

『できない』の反対には、『できる』があり、両方を人は必ず持っています。
本当だったら、できるはずの自分がいて、こうなるはずじゃなくて、
もっと満足ができて、認められて、完壁に(理想の自分に)なれると思っている自分がいる。
だから、そうなっていないことが、こんなの自分ではないし、認められない。
ちゃんとした自分になるまで『ゆるせない』になっているのだと思う。

この『できる』(できるはずの自分)というのは、どこから来ているのか?
理想のかたちにぴたっとはまらないことが、そんなにゆるせないような悪いことなのか。
どうなったら、ゆるしてあげられるの?

もし、『自分はこんなはずじゃない』ということを、
『こんな自分もいていい』と思えたら、どんなに楽になるだろうって思います。

自分を動画で撮影して、表情、言葉、行動等々、ある日の一日を観察してみたら、
もう見てられないって、ダメだしするのでしょうか。
それとも、へえ~わたし頑張っているなあ、健気にやっているなあって応援したくなるでしょうか。

もし、こんな自分という他人が目の前にいたら、
ゆるせないって思うでしょうか。
それとも、大丈夫、それでいいんだよって受けとめてあげるでしょうか。
どうするのでしょう、「私」だったら。
そして、本当はどんなふうに生きていきたいのでしょう・・・

そんなことを感じた今日一日でした。








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