シンプルさと無駄
シンプルライフを考える時間がありました。 『屋根ひとつ お茶一杯 -魂を満たす小さな暮らし方- ドミニック・ホーロー著 講談社』 この本を参考に、自分なりのシンプルライフを実践していこう、という小さな会です。 今日は、無駄が削ぎ落されていくことで、頭が整理されていく、という話がありました。 これは無駄だ、と感じることは、人によって違ってくるのだなあと思いました。 例えば、考えても無駄、ということがあります。 四六時中考えてみて、考えても結局大して何も変わらないことを(考えすぎて、自分の状態を悪くするだけだったなんてことも)何度か経験して、やっとその意味が分かる。 ということもあるので、 それはむしろ、考えたことは(その経験は)無駄ではなかった、ということにもなります。 もちろん考える内容によってですが、無駄にはどんな役目があるのだろう、と考えたりしました。 私にとっての今はっきりしている無駄と思えるものは、 夜に大して面白いと思ってもいないTVをだらだら見ることです(首を痛めるまで、これがやめられなかった)。 だらだら見るのは無駄、と自分が決定するまでに、 全く見ない選択をすぐには選ばず、どうせ見るならば録画したものをまず見る。 その後、それでも見たいTVが無かったら思い切って消して、別のことをやる。 そしたら、その別のことをやっている方が充実していた、楽しかったという経験をし、 はじめて、本当に面白いと思うTV以外は無駄、を実感するというものです。 面白いTVを見ている時は、 一日の体と頭の疲れを取りさっている時間だということも、今はあるかなあと思うからです。 無駄を削ぎ落すとは、 彫刻刀で荒く木を削り、全体像が見えてきたら、 細かいところを少しずつバランスをみて調整し削っていくイメージです。 必要なものを残していくためにやること・・・ すぐに、削ぎ落とす(やめる)のではなく、 その調整していく過程(変えたら良かったという経験と実感)に、 シンプルライフを実践していくおもしろさを感じています。 同じ本をみんなで読み、感じた箇所が同じであっても、微妙にとらえ方は違うし、 どれも今の一人一人への、正解なのだと思いますので、その解答を聞くことも楽しいです。