悲しみの中にさえも
先日、 仕事でお世話になった方とのお別れ があったばかりなのですが、 その数日後に、私たち夫婦にとって20年来の友人とのお別れがありました。 この短い間に、大切な人たちが旅立ってしまった。 最後のお別れのとき、 これまでの感謝の気持ちを心から伝えることができたとは思ってはいるのですが、 今もまだふとした時に、生きていたときのいろんな思い出がよみがえり、 心の中に、寂しさや悔しさを感じることがあります。 あちらの世界に往った方たちは、 守ってくれる方々に導いていただきながら(そういう方がそばにいると思うから)、 魂の学びの続きをしているのかなあと思ったりします。 その学びの続きを、こちらにいる人間がじゃまをしないように、 静かに意識を今生きている人たちに向け、自分に向けていきたい。 だから、寂しさと悔しさも感じることはあっても、 そのことはいつも胸にとどめていきたいです。 死んだ後のことは、生きている間はやはり分からないものだと思います(生きることについても分かってはいないのかもしれないが)。 その人なりの哲学で、今を充実させ、後悔なく生きていけるものであれば、どんな受け止め方でもいいと感じます。 人の死は、少なからずそれを考える時間を与えてくれるものかもしれません。 おだやかな顔をして眠っている友人を見たとき、私はなりふり構わず泣きました。 声を出していろいろ話しかけながら、 悲しみにくれるご家族と一緒に、涙は止まりませんでした。 でも、その晩のご飯を普通に食べている自分がいました。 呆然としながらも、冷蔵庫を開けてデザートも食べた。 こんなにも、どうしようもないくらい悲しいのに、お腹はすくんですね。 何なんだろう。 悲しい感情とは別の自分がいる。 悲しんでいる自分とは違うところの存在を、そのとき感じとったような気がしました。 別の存在というのは、それはもしかしたら、 本当の「私」・・・なのかもしれないと、 今少しずつ感覚として感じています。 この存在を確かに感じ、使い、そこで生きたいと思うからこそ、 だからこそ、私は生きていけるのかもしれない。 こういう話を友人が聞いたらきっと、 「生きているんだから当たり前だべ。ちゃんと食べろ」 って、ばっさり言うんだろうなあ 生きれていれば、腹がす...