何度でもやっていく

今日、自分は最低だ、と思いました。
昨日の日記では(→
正直に素直になって、こじれた部分と向き合って・・・
的なことを宣言したばかりなのに。

(昨日の話とは別の話ですが)
相手に説明しなければいけない、ということがありました。
でも、相手にうまく伝わっていかず、
うまく話せていない私の代わりに(私を見かねて)、
わかりやすい言葉に変換し、説明を代わってもらった場面があったのです。
相手は「わかりました」とやっとその説明に納得した様子でした。

「もっと、遠慮しないではっきり言ったほうがいいよ。あれじゃわかんないから」
私は、遠慮ではなく、どう言えば伝わるのかがわからなかった。
なのに、その伝え方がわからないということを隠そうとして、
「でも、ああいう風に言ったほうがいいかなと思ったんです」
と、心にもないことを言ってしまいました。
これが、まず最低(と思った、これもパターンなのだが)。

このとき、パターンは三つくらいあったでしょうか。
はじめに、うまく話せていない自分を認めたくない。
話せないことを相手に知られたくないし、
無能だと思われたくないし、
本当は話せるのに、と言っています。

二つ目は、うまく話せないと思われたくない。
これは、説明を代わってくれた相手に対してです。
こんなこともできないのかと思われたくないし、
無能だと思われたくないし、
下に見られたくない、と言っていました。
だからごまかす(言い訳をする)、というパターンでの行動をとり、
結果、それはそれは気持ちの悪いものでした。

そして三つ目が、パターンで行動した自分はダメな人間だ。
みっともないと思うし、
成長していない証拠だと思うし、
パターンで行動するなんて最低でしょう、と。

この一連の出来事、
このパターンたちすべて紛れもない自分の一部分。
無くてはならないもの。
消しては、無視してはいけないもの。
大事なものなんですよね。

そして、自分がうまく伝えられなかったことに言い訳をしたことについて、
代わりに説明してくれた方へ謝りたいし、あの時の本当の気持ちを伝えたいです。
できるかな・・・でも、そうしたい。

たくさん出てくるパターンたちに、心底耳を傾けたいです。
素直さ、正直さ、受容、愛情、実践力、意思力、挑戦、信頼、誠実さなどの「私」が持っている資質を使い、
また再びやっていこう。






コメント