Birthday

今日は51歳の私の誕生日でした。
言動も体型も、おばさん街道、順調に進んでおります・・・(どちらかというと、良い意味で)。

今朝は、夫の顔を見たとたん、特に意味はなく、
「今日、私の誕生日だ。」と口に出てしまいました。
「あ~あ、なんで先に言うんだよー」
と、夫は残念がっていました。
かといって、何かあるわけでもない(ケーキやプレゼントの用意は無い)のですが、
「おめでとう」を自分が先に言ってから、
「あ、そっか、誕生日だった。ありがとう!」
などというリアクションが欲しかったのかもしれません(毎年こんな感じだから)。

でも、結局夕飯は、夫が回転寿司を食べたいと言ったので、
お寿司とデザートを誕生日っぽく食べてきました。
でも、一番嬉しかったのは、アパート暮らしの娘からお花が届いていたこと。
植物をいつも枯らしてしまう私を思って、ブリザードフラワーでした。
娘は、中学2年生くらいを最後に、
誕生日や母の日に、何かプレゼントをくれるとかほとんどなくなったのですが、
家を出てからは、よく私にプレゼントをくれるようになりました。
しかも、喜ぶツボをちゃんと知っている・・・
物だけでなく「ありがとうね」と言ってくれるところが、本当に優しい子だなあと感心します。

娘とは、血のつながりはありません。
自分は出産の経験がないので、昔はそのことで不完全な女性であるような、母親として持つべき何かが欠けているような、そんな自分を責める気持ちがありました。
私が娘に、感情的になって怒ることがあると、夫から、お腹を痛めていないから、子どもの気持ちが分からないんだと言われ(最悪な夫に聞こえてしまい、夫ごめん)、私だけが他人のような寂しさが心の底にありました。
でも、そんな私の気持ちとは関係ないところで、
ずっと娘は、変わらず私を大事に思ってくれていたように思います。
こんな母親らしくない母親に(●母親とは、というパターンが自分にあった)、娘がいろんな経験をさせてくれて、親として人として育ててくれたのだと思う。

よく他人から、雰囲気が似ていると言われるのですが、性格はかなり違います。
この「違い」を理解し、というより、「違い」があることを認められるまで長い時間がかかりました。
親子だから、同じ価値観を持って欲しいと思ってしまうことも多かったです(今でもある)。同じ価値観を持つことで、何とか自分の正しさを感じたかったし、自分が安心したかった。
今は娘に対しての後悔の気持ちと、それでもそんな経験が、どうしても私には必要だったんだなと思う気持ちと両方あります。
そこを通らずには今の自分(魂の成長を目指したいと思う自分)はいなかったと感じます。

子どもの魂は、親よりも崇高なものだと聞いたことがありますが、本当にそうですね。
娘は、私との違いを受け入れ、尊重してくれていたと、
離れて生活するようになって気がつきました。

父と母がお見合いをして結婚してくれたおかげで、
私がこの世に生まれることができた。
夫がバツイチになったおかげで、娘が私を選んでくれた(私も選んだ)。
壮大な計画のもと、私たちは家族に選び、選ばれてきた。

これからも、いろいろあると思いますが(むしろ、あっていい)、
どうぞよろしくお願いします。












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