一人では生きられない
生まれてきたときも死ぬときも、たった一人だっていうのに、 生きている間はこんなにもたくさんの人と関わり合っている、ということの不思議をなぜか考えていました。 死ぬときは、もしかしたら家族や誰かがそばにいるかもしれないけれど、それとは関係なく、 息をひき取り肉体から魂がぬけていってしまうときは、もうすでに一人になっているんでしょうね。 でもその後、間もなく、あの世にいる人たちがすでに出迎えてくれるようで、 「ただいま~」って久しぶりの再会を懐かしむ、喜びでいっぱいになる、満たされるのだそうです。 だから一人でも全然寂しくも悲しくもないらしい・・・ということを聞きます。 もしも本当にそういうものだとしたら、 この生きている間の、数々の「執着」というものって何なんだろうって思います。 物質的なものに限らず、 自分を見てほしい、認めてほしい、愛してほしい、一緒にいてほしい、 ずーっと永遠に死なないでほしいということもそう。 よく思われたい、評価されたい、人の上に立ちたい、 はたまた、目立ちたくない、悪く思われたくない、責められたくない・・・ ということも全部、パターンである限り執着なのだと思います。 自分がたどってきた道を振り返ると、そこに必ず何かしらのこだわりがあって、頑ななものがあって、 絶対にこれは嫌というものがあります。 そういうときは決まって悔しがったり、不安になったり、辛くなったり、 そうならないことがものすごく怖いと思ったり・・・ それが(それら執着をいうものが)、幸いなことに、「パターン」だということに気づけているのと、 それが(それら執着をいうものが)、「正真正銘の本当の自分」なんだと、思い込んで生きていくのとでは、 天と地との差があるのではないかと思うのです。 最終的に、 自分がどうなっていきたいのかが分からずに生きていくということほど、虚しいものはないのかもしれません。 お金さえあれば、家族さえ元気でいれば、病気さえしなければ、 これさえあればそこそこ生きていけるだろうと、 一見高望みでもなく、普通の生活でいいと思うことであっても、 その、○○さえあればの○○ですら失うことがあります。 そんなときに、○○がなくても自分はこう生きていきたい、 これが自分の生きる軸なんだと思うものがあれば、 どんな弱さも愚かさも過ちも、少しずつ受け容れながらやっていけるか...