これも一つの事実

昨日、褒められたという出来事について触れましたが、
褒められてうれしいと思った自分に、それからどうしたの?と、
何か変化があるのかどうか、今日も観察していました。
実は今日もまた別の人から別のことで、褒められるということがあり、
そんな事実があるのか?と、自分がしたことをふりかえってみています。

褒められたというところで、幸せな気持ちにはなります。
ぽかぽかした春の陽気のように気持ちが温かくなるわけですが(昨日もそうだっだ)、
自分の内側はそこで満たされたようで、思ったより、落ち着いているなと感じます。
お腹が空いていたところに、おにぎりをもらって満足しているような、そういう感じに近い。

ただ、話してくれた相手の人に対しては、
そんなところまでよく見ていたんだな~と、
自分の小さな心の動きと、その反応と、それに伴っての行動と、その動機などを観察していて、
これは自己分析ではなくて他己分析ですね。
細かいところをよくスルーせず、観察力が鋭いということなのかなと思いました。

自分よりも他人のことを観察したり分析したり、
自分より他人のことの方が何だかよくわかる、見える、っていう方は多いと思います。
以前自分もそう思っていましたし、
自分のことは考えれば考えるほどよくわからないと思っていました。
でも、それは考えることではなく感じてわかることだったんだと、今は思います。
どう感じるか?で、どうしたいと思っている自分がいるのか、
また、本当はどうしたいのか、どうなっていったら、気持ちは広がっていくのか・・・
感じるところから理解ははじまるため、
考えても考えてもわからない、というのはある意味当然です。

他己分析をしてもらって、
自分が見ている事実とまた違った視点での事実を知ることができ、とてもありがたいと思いました。
人はほとんどパターンで物事を見ていますので、
その方のパターンで見たわたしであるかもしれませんが、
それでも、一つの事実ではあります。
自分を知る材料の一つとして、「褒められる」ということがあったのかなと感じました。







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