手をとりあう

先日の岩手クラスのセミナーでは、
陰は陰の役割を、陽は陽の役割をそれぞれが担っているということを学びました。
宇宙に存在しているものすべて何らかの役割があるからそこにあり、
だから私たちが成長できているということになります。
そこから得られたエネルギーは自分のためだけでなく、
たくさんの人へ光をもたらしてくれるものです。

一日の中で何度も、陰と陽でバランスを取りながら学んでいたんだなあと思います。
セミナーでたくさん学び、終わった後の焼肉会で笑い、晴れ晴れとした朝を迎える。
この時、自分からは陽のエネルギーがかなり放出されているように思います。
なるほど~と感動し、発見と楽しさがあって、
心は軽く広がりを持ち、生きる力になっているからです。

しかしながら、そんな生きるエネルギーも数時間後には何ということか。
パターンに引っかかり、むっとしたり、不安になったり、
意気消沈してもう投げ出したくなっている陰のエネルギーでいっぱいになっている自分がいます。
かと思えば、
ふと我に返り、
「私」「私」・・・と本当の「私」に意識を向けてみたり、
パターンでつぶやいたその後に、「私」は全然そうは思っていないけど・・・
と言っては、また光に目を向けていたりするのです。

そうやって、何度も暗さと明るさ、重さと軽さ、不快と快、陰と陽を行き来しながら、
そのふり幅を少しずつ小さくしていきたいと思いながら、
「私」である中庸を目指しています。
ここを目指すためにも二極の体験(役割)は無くてはならないものだと思います。

二極は反対にあるものだから、反発するものとイメージしていたかもしれません。
陰は陽を嫌い、陽は陰を遠ざけようとしていたような感じに・・・。
でも、はじめて、この二つは手を取り合っているかのように、
それぞれの成すべきことをただやっているだけなんだと、ちょっとずつ感じられるようになりました。

となると・・・
目の前の苦手とする人、パターンにがんがん引っかかる人、嫌いな人というのは、
そういう役割を持って、実は「私」と手をつないでいるのだろうか?
何だかすごく不思議です。








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