その根拠は

先日の日記で、●責められたくない
という大きなパターンが出てきた話をしましたが、今日もこのパターン登場。
登場するときには必ず胸のざわざわが発動し、
それが動悸となって全身に緊張が走り、不安と恐怖心がじわじわとやってきます。

でも今回は、〇責められてもいい、という白の軽さを味わい選んでいたので、
責められているなあと感じながらも、あの軽さを思い出すようにしていました。
そして、相手の言っていることの何に自分は反応しているのか?観察をしていました。

すると、「その根拠は何?」
と聞かれることが自分は責められている!とパターンは受け取っていたのです。
なるほどな・・・
根拠をうまく説明できていない自分。
なぜ?理由は?その根拠ってどこにあるの?
と聞いてくる相手に反応するパターンなんだと知りました(今回の場合は)。

何とかやっていかれる、根拠はないけれど・・・というもの。
なくてもいいと言っているところに、逆行するようなことを言われている。
根拠ってあった方がいいのか無い方がいいのか、使い分けしなければならないことが起きているとは。

〇責められてもいいという軽さをできる限り持ちながら、
自分なりにどうしてそう思うのかという根拠をふりしぼって考えてみました。
自分はこの説明というところが苦手です。
たぶん説得力も何もなかったとは思いますが、
今自分が言える部分のことを短い言葉で話してみました。
「それじゃあ、誰も納得しないよ」
再び●責められたくない、のパターンはざわついていましたが、
でも、全く話せないわけでもないかも、ということもちょっと分かりました。
今は自分がその説明をきちんと話せる力がないんだな、
ということを認められることの方が、自分にとって大きなことでした。

根拠がなくてもやっていかれる・・・という「私」の感覚はとても大事です。
そのこととは別もので、現実社会では、きちんと話せないととても困る場合も多いですね。
少しでも伝えられるようにするという訓練も自分には必要だと感じました。
責められたくないという感じるパターンが、何を持って責められたと感じるのかはその場面で違ってきます。
間違いを指摘されたとか、他人から悪く言われているとか、責任を取らなければならないように感じるとか、
何に怖がっているのか、深く掘り下げて次回も観察してみたいなと思います。













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