排除

どんなふうに学んでいきたいのか、
どんなふうに成長したいのか、
それを強く願うようになっていくうちに、
理想のようなものが膨らみ、その理想に沿わないもの、他人を排除しようとしていた自分がいました。
排除・・・というと何か強烈な言葉ですが(他の表現が見つからないので今は)、
そういう頑なになってしまったものが、自分の中にあったように思います。

自分自身の問題であるのに、
その問題と向き合うのに他人がじゃまになるということはないです。
他人の存在そのものや他人の言動が、自分の成長の妨げになるということもないし、
むしろ、そこから見えるのは自分のパターンであるため、
もっと学べる、もっと理解が深まる、世界が広がる・・・はず。

楽して学びたいと思っていたのか?
何かスムーズに、これがわかって、あれがわかって、
そしてそこに喜びがあって、楽しさがあって・・・
自分の課題を一つずつ取り組んでいく時に、そんな環境の中だけでは学べないように感じた。
もっともがくようなことがあっていいし、
もっと思い通りにならないことがあっていいし、
もっと他人がわからないような、もやもやがあっていい。
だからこそ語りかけがあって、白を選び続ける練習ができる。
その過程を省くようなことをしようとしていたのではないか?

自分が苦手としている人、自分と違う考えや価値観を持っている人を遠ざけようとしていたかもしれません。
距離を取るということも場合によっては必要なときもありますが、
いつかは向き合うときがくるということも、心のどこかで分かっているのだと思います。
自分のことを知って、
自分のことを許し、
自分のことが愛せるようになっていくことと、
そこに他人は含まれない、というのはやっぱり違うような気がしました。

自分の中に排除した方がいいものなんてあるだろうか。
パターンだって無くなっては困るものですしね。

また新たな気持ちで、
誰かの言動に引っかかることがあったら、
そのパターンから目をそらさずにケアすることをやってみたいと思います。
また明日から、何度でもやっていこう。











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