震災を思い出す
先ほど、宮城県沖震源の震度5強の地震がありました。
沿岸に住んでいる方たちはさぞかし怖かったことでしょう。
盛岡は震度4でしたので、家の中も特に被害はありませんでしたが、
今後も余震には注意です。
その地震の真っ只中、母とわたしは回転寿司で大好きなウニを食べていました。
そう、ふたりともお寿司の中で一番好きなウニ・・・が、期間限定で約3倍盛り。
それらを味わう間もなく口いっぱいに詰め込み(まるでハムスターのように)、
さあ、もう帰りましょう、と家路を急ぎました。
やはりあの日の地震を母は思い出すようです。
津波でたくさんの方が亡くなった南三陸町の漁港へ、あの日母はバス旅行に行っていました。
予定の時間よりも市場を早めに出発し、港を離れたバス。
その5分後に地震が・・・
高速道路も封鎖し、信号機も点灯せず、自宅に着いたのは夜遅くでした。
母と連絡が取れるまで、本当に生きた心地がしなかったです。
ラジオでは三陸沖に6メートルの津波がきているというし(実際は約16メートル)、
余震が何度もあったし、とんでもないことになったと思った。
そのころ父は認知症がはじまっていて、
なかなか帰ってこない母を心配して、何度も外へ出たり入ったりしていました。
真っ暗な家で、さぞかし不安だったと思います。
でも父は、玄関に飾ってあったお気に入りの花瓶が壊れたことも、地震があったことも、
母が昨夜やっとの思いで帰ってきたこともすべてを忘れていました。
たった一日しかたっていないのに・・・
もう話が通じなくなっている父に母はいら立ち、一方的に怒っていたことを覚えています。
忘れてしまうんだからしょうがないよ・・と思った自分ですが、
もし、自分もあんな怖い経験をしたのに、
一番理解してほしい夫が、怖かったねっていっぱい言って欲しいのに何も覚えていないとしたら、
その悔しさというか、悲しさというか、やりきれなさは
いくばくのものだったんだろうと思います。
その時の母と同じように、
自分も今、母に対して悲しい気持ちになることがあります。
さっきまで何とか普通の会話ができていたのに、
家に帰って母からの電話に出ると、また同じ話を繰り返し聞いてくるということがよくあります。
そんなとき、しょうがないなあ~と思いながら淡々と話せるときもあれば、
話が通じる母でいてほしいというパターンが顔を出し、
悲しくなったり、むなしくなったり、抑えきれない怒りをあらわにするパターンもいます。
父は今、
コロナで大騒動となった世の中のことも知らないし、
今年震災10年なんてことも当然知る由もありません。
いたって平和です。
平和の中にいる父の領域にはまだ母に行ってほしくないです(これも自分のパターンだが)。
同じ話を何度も繰り返す。
それくらいあってもいいから、もう少し、母とはいろんな話をしたいです。
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