おたがいさま

自分が障害のある方と関わる前までは、精神疾患と聞くと何か怖い、って思ったし、
発達障害って、どこまでが性格でどこまでが生まれつきの障害なのか、
精神も発達障害も、どう接したらいいのかまったく検討もつかない、という戸惑いだらけでした。

今、こうして、楽しく話しをしたり、一緒に出掛けたり、関わりをもっていられるのは、
そういった障害がある方が、恐る恐るだった自分にゆっくりと付き合ってくれたおかげだと思う。
わたしのような、おっかなびっくりの人間の気持ちを察する能力が長けているように思うし、
そこを包み込む優しさ、大らかさに助けられることばかりだった(今でもそう)。

疾患があることも、生まれつきの障害特性があることも、ぜんぶが個性。
わたしはこの個性にとても魅了されている。
自分に発達障害の傾向があることで、なんでこうなるの、とは思わず、
だってそうなっちゃうんだもんね、って共感する部分がたくさんあることが自分自身とても救われた思いがした。
時々、話が通じないこと(自分が理解できていないこと)もありますが、それはおおよそ自分の側に原因があるときだと、
パターンの存在を知るようになって、ようやく府に落ちた感じがありました。
●相手を思い通りにしたい
このパターンで話しを聞いているときがそれです(これがあると、相手がシャッターを降ろすような気がしてならない)。
自分の態勢次第だということが、身につまされる。

本当は、サポートする側がされる側の何倍も、自分に欠けているものを埋めてもらっているんだと思う。
自分に優しくできないから、相手に優しくする。
自分を認めてあげたいから、相手を褒めて勇気づける。
自分にできないことを、いつか自分にできるように、相手にさせてもらうことで、疑似体験させてもらっている・・・
そう感じるときがあります。
自分が教える側、助ける側、支える側、導いていく側だと思っていたら、
結果的に、その人にとって自分にとって良い道へと導いてもらい、助けられたのはこちらの方だったということもある。

もうどちらがサポートする側なのか・・・どっちでもあるし、どっちでもないかもしれません。
もし自分がこれからの人生の中で、病気になったり、どん底の出来事に見舞われたり、障害を持つことになっても、
助けられる側だけにいるってことは無いということ。
誰かにお世話してもらう側になったとしても、それは申し訳ないことではなくて、
感謝してお世話になればいいんだ(お世話させてあげられる立場)って思えます。
常におたがい様~なんですね。














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