挨拶へのパターン

同じ事実を目の前にしても、何かを感じる人もいれば、そこまで感じない人もいる。

挨拶をして返してくれなかったとき、
自分の存在までも否定されたとか、何て失礼な人なんだと怒る人もいれば、
あれ、聞こえなかったかな、何か今日あったのかなと相手の問題と感じる人もいる。
ただ自分が挨拶をした、それだけで終わる人もいる(返事を返されようが返されまいが関係なく)。
挨拶がちゃんと交わされなかったときに、
そのとき自分は心が騒ぐのかどうか・・・という点だけなんだと思う(この時の相手は関係ない)。

毎日職場でも、利用者さんたちがどんな挨拶をしているのか、
またどんな感じに返しているのかと他人とのやりとりをチェックしては、心の中で、
あ~もう少し元気いい方がいいな、目線が合ってないよ、今もしかして返さなかった?それは最低だ、などと心が騒ぐ。
観察して、直したほうがいいなと思うと、言い方をとても考える一方で、
伝えることそのものに迷いを感じる自分もいました。
せこい、細かい人間は嫌われる、あら探しがうまい、
相手をキズつけるかもしれない、そこまでちゃんとやらなくてもいいのかも等々。
こう考え始め、次に何をするかというと、
気にしていない振りをするという行動をとり、挨拶に関してのパターンを無視し続けてきたように思う。

近所の子ども、家の前に立っている自分に挨拶をする人、しない人、そこにも意識がいく(不快感の大なり小なりを感じる)。
●挨拶はちゃんとするべき
というパターンが毎日登場してはいたのに、見ようとしてこなかったんだなあって思いました。

相手のことだけでなく、自分も挨拶しそびれたり、迷ってしなかったりということがあると、その後もやもや感が残っていました。
挨拶をされなかったことよりも、自分がしなかったことの方がずっとこのもやもや感があることに気づいたので、これは、
〇自分のために挨拶しよう、という白を選び、実行しています。
自分がする、それだけでOK、終了~。
やってみたら、単純で簡単なことだった・・・。

利用者さんへは、就労を目指していくわけですから、これからもタイミングを見ながら伝えていこうと思っていますが、
そこに以前のような感情は起こらなくなっているという違いは大きいです。
した方がいいことはわかっていても、声が出ない、その理由を一緒に考えていきたいですし、
返してもらえなかったときに、どんな気持ちになり、その気持ちになる理由は何なのか一緒に探っていきたいなと思います。

自分は、交わす挨拶で自分の存在を計り、相手との関係性を感じ取ってきたのだと思う。
だから雑にされたり、無視されるのは、自分を認めてもらっていない感じがして、いやだったんだと思うのです。
●他人から認められたい
●大事にされたい
というパターンの枝葉の部分として、●挨拶はちゃんとするべき、があったかもしれない。














 






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