どうして認められたいのか

●褒められたい
●認められたい
などといった、他人からよい評価をしてもらって、
ちゃんとそれを言葉で言ってほしいと思ってしまうパターンがあります。
どうして、そういうパターンがあるのか。
これらのパターンを持っている人みんなが、同じような経験をし、育った環境が似ているとは限りません。
人それぞれ、パターンが誕生した経緯は違います。

小さいころ、わたしはとても活発で、体育や運動会で大活躍をするタイプ(今ではそのかけらもないが)。
お勉強の方も可もなく不可もなく、いわゆる、まあまあの良い子だったんだと思います。
両親からたくさんの愛情をもらい、ことあるごとに褒められて育ったように思います。
今思うと、周りの大人や親戚、先生からも同じように、若干ちやほやされていた感じがあります。

そうして中学、高校、社会人となって、
自分より認められみんなから尊敬され、すごいねと言われる人達が世の中にはたくさんいることを知ります。
それでもまだ、何かしたら褒められて、認められてあたり前なんだ、と思っている。
しかし、自分が思うよう欲しいような言葉は次第にもらうことが無くなって、あったとしてももの足りなくて、
どうしてなんだろう、褒められないことへの居心地の悪さを感じながら、評価されないことへの不安(悲しさ、寂しさ、怒り)がつのっていったのだと思います。

子育ては褒めて伸ばす、ということが一般的になっていますが、
それだけでいくと、もしかしたら、こんなパターンをつくりあげてしまう可能性があることも考えなければならないと、自分を振りかえり思います。
他人から与えられてあたり前、になってしまうと、
与えられないことへの不自然さ、違和感、不快感が、どこまでも評価される言葉を求め続けていく・・・
これは、本当の「私」ではないのだ、パターンなのだと気づくまで、
そうしてくれない他人を責め続けます。

褒める、認めるといった評価を他人に求める人間になってしまうと(パターンでの話しだが)、永遠に満たされることがないですから、本当に苦しいです。

でも・・・
幸にして、パターンというものは、苦しさを生み出すものだけで終わりません。
●褒められたい、のとなりには、〇褒められなくても大丈夫
●認められたい、のとなりには、〇認められなくても大丈夫
という真逆のものがあってはじめて一つであり、苦しさの逆、安心感や幸福感、明るさや開放感を選ぶことができます。
いつでも、どんなパターンにも、この真逆を少しずつでも選んでいくができる。

ここが、パターンを見つけたときの、希望、救い、素晴らしいところです。
自分の人生を自分がつくりだせる(つくり変える)ということの証明です。
●黒パターンの経験をたくさん積むからこそ、
もうそこにこだわり続けることはやめたいと、〇白パターンに向かっていこうとするのだと思います。
シーソーのように、片方ばかりに重さがあるともう片方に移動したくなりますよね。

わたしの、ときどき顔を出すこれらのパターンたちを見て今思うことは、
親や周りの大人が言うほど自分は大した人間でもなんでもなかったし、
今でもそう、「そんなにできていないよ、あなた」という現実を受け入れること。
その自覚が、少しずつ落ち着きを保ち、シーソーのバランスを取る力(●黒パターンばかりを選ばない)になっていくのかもしれません。













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