与えられたことの中で

9年前、震災が起きたとき、
電気・水道はとまり、ラジオから、三陸に7メートルの津波が押し寄せていると聞いて、
これはとんでもなく大変なことが起きたと思いました(実際には15メートル)。
数日後、電気が復旧し、テレビではじめて、津波が町をのみこんでいく様子を見て愕然としました。
どこか遠い外国で起きているかのような、信じられない光景だった。

夫は仕事としてすぐに被災地へ応援に行きましたが、
自分の生まれ育った町の変わり果てた姿に、仕事以上に何かしたいという気持ちでいっぱいだったと思います。
その後も、沿岸に足を運び、当時手に入らなかったガソリンを分けてあげたりしていました。

毎年、少しずつ変わる町の様子を見に、ご飯を食べにいったり、地元の名産品を買ったり、本当に微力ですが買い物で応援をするようになりました。
最近は、と言っても年に一度ではありますが、被災地のどこかで宿泊をしては、震災当時から今までことを聞いたり、夜は地元のおいしいものをたくさん食べ、朝は美しい日の出の海に感動し、
やっぱり海はいいなあって、もう、応援という隔てたものではなく、自分たちが癒されに元気をもらっています。
あの日があったことは、ずっと忘れることはないですし、
自分たちのふるさと岩手にはたくさんの山があって、川があって、海があって、この大自然の中でこれからも生かされていくんだなあと思っています。

被災した東北をひとくくりにして、「大変だったでしょう」と言われることがありますが、これにはいつも複雑な気持ちになります。
実際は、内陸と沿岸では被害がまったく異なり、
沿岸でさえも、津波での被害がある無しや、家族が無事なのかそうでないのかで、自分が支援をされていいのかと思う方は多くいたと聞きます。
どちらが大変で、どちらが不幸で、そんなことを比べたくはないけれど、
自分より困っている人がいると、知ったからには黙っていられない。
だからこそ、あんなに大変なことがあったのに、みんな助けあいながら励ましあいながら、泣いたり笑ったりしながら今日まできたのだと思う。
成長したい、前進したい、人の役にたって生きたいという気持ちは町が変わっても変わらないのかもしれません。

わたしも沿岸に住んでいたころがありますが、
そのときにもし震災があったなら、自分は何かを真剣に考える、その何かって何だったんだろうと思います。
あの日、わたしは内陸にいて、津波の音も振動も怖さも冷たさも感じていないけれど、
自分に与えられた今ある経験の中で成長していきなさいということなんだ、って感じています。

今は、災害だけでなく、新たなウィルスが世界中に広がり、いよいよ自分のあり方に向き合うときがきているのだと感じます。
そうでなければ、気づこうとしない人間たち。
本当の幸せ、自分のありたい姿、あの世に行くまでにやっておきたいこと、本当の「私」で生きること。
この騒々しく穏やかではない時間を、静かな祈りやしっかりと内に目を向ける時間にしていきたいです。




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