ご先祖様から学ぶ

夫の父親は、とても破天荒な人だったと聞きます。
いろんなエピソードを聞くたびに、あの世では今どう過ごしているんだろう、
とお盆だけに、考えたりします。

海は、夫にとっても父にとっても思い出いっぱいの場所で、私も高校生のときは毎日のように海に出ていました(漕艇部でしたので)。
父のお墓を自分たちの住むところへ移したいとは思うのですが、行ったついでに海に行けるという特典があるので(すみません、ご先祖様)、車で2時間かかるお寺までの道もさほど大変ではありません。

夫は、中学生のころ、朝早く起きるとウォークマンを聞きながら自転車を走らせ、海まで行って、帰ってきてそれから学校へ行く、という夏の日課があったそうです。
そのうち、自転車で行くのが面倒になり・・・
車で行きたいとお願いすると、
「中学生なんだからダメに決まっているだろう」
とは言わず・・・
交通ルールと運転技術を教え、
「ガソリン代がかかるなあ」とつぶやいたそうです。

夏休み、「勉強はいいから行くぞ」と先頭きって子ども達を海に連れ出す父。
あるときは、ウニが食べたくて海に潜り、密漁で捕まったという、懲りない話もたくさんあります。

そんな非常識ともいえるこの親子の日常に、私はなんとも言えない可笑しさ、どきどき感、そして愛情を感じたのでした。
大人として、社会人としてはどうなんだ?という部分はあっても、自分の思うように生きた人だったのではないかなあと思います。

子どもは、非常識なことをする親を見てどう思うのか(育つのか)?
悪いことを悪いと教えるのは親の役割かもしれません。
一方で、悪いこと、と決めたのは誰なのか?ということも考えたいです。
親が常識的でも非常識でも、どんな親からも学べる、ということなんだと思いました。
子どもはそれを見て、体験して、自分が決めればいいだけなんだと。

大人になって、生きずらさを感じたときに、
この目の前にある、思い込みの世界で生きなくてもいい
常識に捉われなくていい
ということを思い出せるのは、父のような大人をたくさん見てきたほうが、気づきやすいかもしれません。

私は、親として失敗だらけだったことを、今その体験があって良かったんだと思えるのは、父のおかげもあるように思います。
ダメなところ、親らしくない親だったところを娘に見てもらって、娘には大いに人生での選択肢の幅を広める材料としてほしい。そう願っています。

いまだ、兄弟が会うたび、笑い話となって語り継がれていますよ、お父さん!
ご先祖様、私たちをつなげてくださりありがとうございます。