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ラグビーW杯

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皆さんの地域では、台風大丈夫だったでしょうか。 被害が大きい地域もあり、復旧が少しでも早く行われていくことを願います。 昨晩は、盛岡でもすごい風でした。 どこかで何かトタンのようなものがバタバタと音を立て、 次第にその音が大きくなっていき(いかにも、そのトタンが飛んで来そうな感じで)、夜中目が覚めました。 台風を実感し、とにかく怖かったです。 昨日は、台風に備え、一日中家でTV。 ラグビーWカップの今日のスコットランド戦に向けての特番がありました。 選手一人一人のラグビー人生とインタビューなどだったのですが、 一流になる人の努力って、本当に一線を越えている・・・すごいです。 今あるその精神力も肉体も、技術も人柄も、納得できるものです。 何度も何度も試練があって、 それは個々のものだけでなく、チームとしてのかたちに表れてくる。 個人が周りに与える影響力(その逆も)って計り知れないなあと思いました。 自分が前に出ないと、ボールを渡せないルール。 ラグビーのひたむきさ、我慢強さが際立ち、これを考えた人すごいですね。 直に体をぶつけあって、ボールを奪い合って、走って。 あんな遠くのゴールへキックも信じられません。しかも楕円のボールを。 はじめは、見た目に外国人メンバーが多く、 日本代表としてどうやって一つになるんだろうと思っていましたが、 日本の歴史を学びながらチームを作りあがてきたところが、 (異国の文化がまじりあうことで、理解しあい発展させてきた日本があるということ) ファンとしては、応援したくなる理由の一つなのでしょうね。 私が小学生だった頃、新日鉄釜石(現在は釜石シーウェイブス)がとても強くて、 日本一7連覇のときは、興奮しながらTVの前で応援したのを覚えています。 あの松尾選手の8の字サイン(実際は8ではなかったようですが)。 今またラグビーの歴史を振り返る番組でたびたび出てきて、何度見ても背筋がぞくぞくしてしまいます。 今日は、釜石鵜住居復興スタジアムでもW杯の試合があったのですが、 この台風で中止になったそうです。 先日の釜石での新日鉄を彷彿とさせる歓喜と、たくさんの方たちの感動の涙を思うと、 とてもとても残念です。 ですが、緑あふれるスタジアムで (世界的にもこんなに自然あふれるスタジ...

暴走

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パターンが暴れまくっています。 ※パターンとは、多少ですがHPで解説させていただいています→ Rowing まるで、暴走族のように、 まるで、暴れん坊将軍のように(どちらも例えが古い)、 自分の心の中でそれは主役となって、 自分の口から発せられた言葉も、行動も、顔つきも全てにおいてパターン全開でした。 そして、その後味の悪さといったら・・・ 暴れたパターンの一つは、 ●自分の言うことを聞くべき これは、当然自分の言った通りにすると思っていた相手が、 違うことを主張してきた(そしてその主張を曲げない)ときのパターン。 何とか相手に考え直してほしくて、 こちらの主張の正しさを威圧的に訴えていました。 当然、結果は自分の言う通りにならず、イライラが爆発してしまいました。 もう一つは、●偉そうな態度をとるべきではない これは、相手がお願いをしている立場なのに、 まるで感謝の気持ちがなく、偉そうな態度で言いたいことを言ってきたときのパターン。 相手に謙虚さを求め、逆に相手を責めるような言葉を言い放ちました。 その後、相手が少しへりくだった言い方をしてきたので、 そこでパターンは少し落ち着くことになりました。 まずはその場で、 「そうだよね、あなたは自分の言うことを聞くべきだって思っているんだね」 次のイライラには、 「そうだよね、あなたは偉そうな態度をとるべきではないって思っているんだね」 と最初の声かけだけしました。 この最初の声かけが、あるのとないのとでは、 パターンの暴走具合が大分違ってくるように思います。 思考に切り替えて、心にもない、大人の対応をするよりも(これ、まさしくパターンでの行動)、 声かけの沈黙の時間を一瞬でも作りながら、 胸のあたりにいる「私」に意識を向けていく。 そうして、分離感を出して、そうかそうかと、何度も確認。 今日、その場でやったのはここまででした。 その後、ケアすることになりますが、 いつも、その場の応急処置がとても大事で、無視をしないことが大事で、 黒パターンのままでもいいから、「私」が黒パターンを選んでいることの自覚が大事。 とても難しいことでもあるし、でも、それだけだから簡単とも言える(すぐできる)。 今、誰が言っている? 誰が思っている? と、...

宇宙にとどくような

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録画していた歌番組を見ました。 昭和、平成を通しての男性歌手とバンドの、ゴールデンヒット曲。 歌える曲がたくさんあって、この手の歌番組大好きです。 当時の映像も流れ、最近のカッコイイとは違うかっこよさがありますね。 自分が若かったときに聞いた曲だからなのでしょうか。 懐かしさ、せつなさ、恋愛のどきどき感もよみがえって、 キューン・・・とする感じです。 このキューン・・・って、年齢は関係ないのかもしれないですね。 たぶん、もし自分が80歳になっても同じように感じるような気がします。 一瞬でいろんな時代の自分に戻れるって、歌の力はすごいですね。 物心ついた頃から、自分の人生の中に、たくさんの曲が登場し、 そのたびに、いろんな感情が湧き起こり・・・ その感情は、年齢と共にとても複雑になります。 悲しいんだけど、辛いんだけど、なんかそれがかっこいい。 せつないんだけど、このままでもいい。 さみしいけど、ほんのちょっと幸せも感じている。 そういうのを、歌詞の世界から感じ取っていった、ということもあるかもしれません。 歌を聞いて、泣けてくるってありますよね。 それは、自分の中にある、何かのパターンが泣いている、ということなのでしょうか。 歌詞が、パターンの言いたいことを代弁しているような。 そうそう、そうなの。 それを言いたかった。分かってくれた?・・・って。 それとも、もっとシンプルなことでしょうか。 美しい景色を見たとき、心地よい風を感じたときのように、 歌がそのままですーっと本当の「私」に届くような。 自然で、まっすぐで、純粋なものが、魂へ届き、 振動となって涙が出るのでしょうか。 もしも、歌がうまかったら、すごく気持ちいいだろうなあ 高い声がぐーんと伸びて、響いて、宇宙に届くような感じで。 生まれ変わったら、ぜひうまくなりたいです。

あまくない

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今朝はポスティングをしました。 想像以上に、疲れました。 結構日差しが強く、風が強く(飛んだ帽子を追いかけながら)、足が重く、息が切れました。 こんなに大変なんだー 200軒ほどの戸建てのお家が集中しているところを回ってみました。 家の敷地から、玄関(ポストの場所)を探しながらですが、 アプローチが単純でなかったり、リビングがまる見えの前を通って行ったりと、 完全に、「おじゃまさせていただいております」 と、思いながら入っていく緊張感。 玄関までたどりついたら、お断りの貼り紙があったり、 不思議なことにポストがなかったり、というお家も結構ありました。 庭先にいる方にびっくりして挨拶をし(目がポストに行っているので気づきにくい)、 自分もポスティングの方に対して、こんな近く(庭)にいるのに何で黙って行くんだろうと思ったことがあったなあ。 そういうことか、と思いました。 今日の目標200枚に届かなかったチラシを眺める。 世の中そんなにあまくないな・・・ そんなことを思いながら、 公園でパンとコーヒーをいただく。これ自体も、 「大して働いていないのに、もう食べるのか・・・」 と情けない気持ちになりました。 ちょっと休息をして、少しエリアも検討しながら、 まだまだ始まったばかりだ、と気を入れ直す。 またコツコツやっていこうと思います。

Birthday

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今日は51歳の私の誕生日でした。 言動も体型も、おばさん街道、順調に進んでおります・・・(どちらかというと、良い意味で)。 今朝は、夫の顔を見たとたん、特に意味はなく、 「今日、私の誕生日だ。」と口に出てしまいました。 「あ~あ、なんで先に言うんだよー」 と、夫は残念がっていました。 かといって、何かあるわけでもない(ケーキやプレゼントの用意は無い)のですが、 「おめでとう」を自分が先に言ってから、 「あ、そっか、誕生日だった。ありがとう!」 などというリアクションが欲しかったのかもしれません(毎年こんな感じだから)。 でも、結局夕飯は、夫が回転寿司を食べたいと言ったので、 お寿司とデザートを誕生日っぽく食べてきました。 でも、一番嬉しかったのは、アパート暮らしの娘からお花が届いていたこと。 植物をいつも枯らしてしまう私を思って、ブリザードフラワーでした。 娘は、中学2年生くらいを最後に、 誕生日や母の日に、何かプレゼントをくれるとかほとんどなくなったのですが、 家を出てからは、よく私にプレゼントをくれるようになりました。 しかも、喜ぶツボをちゃんと知っている・・・ 物だけでなく「ありがとうね」と言ってくれるところが、本当に優しい子だなあと感心します。 娘とは、血のつながりはありません。 自分は出産の経験がないので、昔はそのことで不完全な女性であるような、母親として持つべき何かが欠けているような、そんな自分を責める気持ちがありました。 私が娘に、感情的になって怒ることがあると、夫から、お腹を痛めていないから、子どもの気持ちが分からないんだと言われ(最悪な夫に聞こえてしまい、夫ごめん)、私だけが他人のような寂しさが心の底にありました。 でも、そんな私の気持ちとは関係ないところで、 ずっと娘は、変わらず私を大事に思ってくれていたように思います。 こんな母親らしくない母親に(●母親とは、というパターンが自分にあった)、娘がいろんな経験をさせてくれて、親として人として育ててくれたのだと思う。 よく他人から、雰囲気が似ていると言われるのですが、性格はかなり違います。 この「違い」を理解し、というより、「違い」があることを認められるまで長い時間がかかりました。 親子だから、同じ価値観を持って欲しいと思ってしまうことも...