最期のときまで
今日は夫の定期通院への付き添いでした。
診察の後に必ず、栄養指導があるのでここは自分の役目だという認識。
そして主治医の先生から、塩分摂取をここまで調整できていることは素晴らしい
と褒められました(お互いに自分が褒められたと思っている)。
しかし、全体的には少し数値が悪くなっていたので、
残念ながらお薬が一つ増えてしまいました。
でも先生がこのタイミングで増やした方がいいという判断ならば、
それを信じて自分たちができることは長期戦で引き続きやっていこう
とあらためてまた食生活の見直しをしました。
100%の健康よりも精神性を高めたい。
そう思っているのは私で、夫はどうなのかわかりませんが、
健康について自分を観察していくという点では、
病気になったからわかるこれまでの自分というものが見えると思いました。
肉体の不調は、パターンで言えば、
白と黒のバランスがあまりにも偏りすぎてしまったことを
体を通して教えてもらっているようなことだと思うのです。
感情にふたをして思考に走ること、
常に考えることでいっぱいの状態でいること、
そして、病気になったらもう変わりようがないと思うこと等々。
そこからのストレスがどんなにか肉体を弱らせ、
自分自身を見失ってしまうものであるのか気付かされます。
でも、私自身、今と昔では病気についての意味付けが変わっています。
マイナスの意味付けがないわけではありませんが、
プラスの意味付けもたくさん出てくるのです。
また、ただひとつの事象であることへ何度となく意識が注がれる。
それは、今までの学びがあったからこそのものであり、
健康をないがしろにした精神性ではなく、
肉体という自分の一部も学ぶ教材としながら、
最期のときまで、命への感謝の気持ちを持ち続けたいと思うのでした。
| 今夜の満月は真っ赤でした |
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