寂しい理由

今月はたくさんの方とのお別れがあり、
寂しい・・・という感情には裏などなく、
ただ素直に感じているだけと思っていましたが、
これって何かのパターンなんだろうか?と思いました。

寂しいと感じる理由には、
もっと話がしたかったのがあります。
まだまだこれからも語りあったり、笑ったり、悩んだりしながら、
時間を共有したかったのに、もうそれができないことに寂しさを感じているのです。

でも、そこにもまた、何でそう思うの?としつこく聞けば、
話をしたかったと思う気持ちの深いところには、
その人とはこれからもっと楽しいことがあったはずだし、素晴らしいことになったはず。
そしてもっと自分がその人によって成長ができて、幸せを感じて・・・と相手に期待をしていたように思いました。
自分を満たしてくれるものがこの人にはあって、
それがもう叶わないんだなあと思い、寂しさを感じてしまったのかもしれません。

もう二度と会えないかもしれない。
そう思うと、いてもたっても居られないような気分になってしまうのは、
その人からもう得られるはずのものが得られなくなってしまった・・・と思う悔しさもありました。

今までも寂しさを感じるときは、
似たようなことが心の中でうずまいていたと思いますが、
今、冷静になってその理由が見えてくると、寂しさが少しやわらいでいくような感じがありました。

それにしても・・・
パターンは、
自分をひいきにしてくれる人、褒めてくれる人、
認めてくれる人、興味関心をもってくれる人、そういう人には弱い。
なぜならばそういう人たちは、
自分を気分よく機嫌よくさせてくれるから、パターンは離したくないんですね(お別れしたくなーい)。

パターンは巧妙ですので、それとは悟られないように高揚感を持たせ、
その人のそばにいることで自分が成り立っていくかのような、そう思い込ませる魔法をかけるのだ。

自分がいい感じだと思っていたものが、
実は自分のパターンがいい感じだと思っていた・・・ということは多々あります。
そこの違いを見極めていきたいものです。

また自分を一つ知ることができたと思いました。
自分という人間を知るための材料って、
いつでもどこにでも用意されているんだな。



電気のひもにぶら下げたい




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