そういう自分とは

そういう自分でなければ、生きて来れなかった。
という言葉を聞くと、
自分のしてきたことを本当は悔やみながらも、
それ以外の選択は当時はなかったんだと、
『そういう自分』を肯定したい気持ちがその言葉から感じられます。

あのときはそれが正しいと思ってやっていた・・・
と自分を振り返っても、思います。
後になって、明らかに本音は違っていたとわかるのですが、
本音など関係なかったのです。
だって、他人からどう思われているかが大事だったのですから。

でも・・・これからもそうしたいのか?
と問えば、そこは違います。
自分の本音は以前よりはずっと自分がわかってきている。
そこをいつも明らかにすることができれば、
もしかしたらどんな選択であっても、どうにかやっていけると今は思うようになりました。

『そういう自分』を肯定したいというのは、
他の自分がいることを認めたくない・・・と思っているからかもしれません。
パターンと共にしがみついて生きてきた、そんな自分は受け容れがたいので、
パターンとかそういうことじゃなくて~って、
時代がそうだったからとか、環境がそうさせたとか、体がこうだったからとか、
あの人が、この人が・・・というように、
やはりパターンはパターンを守ることに必死なんだなあと思います。

すべての気持ちをわかっているのは本当の「私」だけです。
だからこそ、誰よりも『そういう自分』の気持ちを理解してあげられるし、
声をかけ、労わって、励まして、守ってあげられます。
だから、怖がらずに自分を受け容れていこう。

ところで、本当の「私」が選ぶものはすべていい感覚のものとは限らない。
と師匠から教えられました。
「私」が選ぶのは、いいものに決まっているというのは、
それは陰陽の意味をはき違えていたようで・・・
どちらもあっていいように(というか、無くてはならない)、
陰と陽をぐるぐるとまわって動いて、
そうやっててバランスをとりながら、その時の最良の選択をしていくようです。

いい感じのものを選ぶ。その感覚はとても大事ですが、
そうではないもの中から見えたり気づいたりすることは多く、
だから、時にはいい感覚ではないものを選ぶことも「私」はするのですね。
やっぱすごいなあ「私」って。

先日の、使っていきたい資質の話ですが、
今、テーマにしている、
(謙虚さを持って)心をひらく。
これは明日の講座でも意識して使っていこうと思います。

まだまだ怖さもあり、不安もあり、
それらを充分に認め受け容れた上で、
それでも心のからくりを知る楽しさと成長することのおもしろさを、
今の素直な言葉で、心を開いてお話ししたいと思います。
『そういう心を開ける自分』でありたいです!



痒いところにもいい感じ






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