パターンの代わり

昨日の講座では、先輩の方々に囲まれてちょっと緊張しました。
年齢とか関係ないと思っていても、
やはりいろいろな人生経験をされている方々へ、
自分の話はどんなふうに聞こえたのだろうって思いました。

話の理解というより、何となくの感じで大きな枠をつかむ方は多いような気がします。
(ってまだ数回しかやってなくて言うのもなんだが)
自分がもっと相手の方に合わせた話し方ができればいいのですが、
なかなかそこは自分でももどかしいくらいアドリブが効かず、
人前で話すという経験が本当に乏しいなあと感じます。
だからこそやっていくのだ。

心のからくりには、パターンという言葉が登場します。
自分もかつては、このパターンという呼び方が、
何だか慣れない感じがあったことを思い出しました。

ここであらためて、パターンを説明しますと・・・

パターンとは、
考え方や捉え方の癖、こだわりや決めつけ、思いこみ、信じてやまないこと、
価値観、常識、世間体、エゴといった、頑なに変わらないものを言い、
誰の心の中にも存在しています(あっていいもの)。

それは、小さい頃に両親や身近な大人から言われて続けたこと、見聞きしたこと、
育った環境や教育、学校の先生、学校の友達、職場の人、
SNSやテレビの情報からもいろいろなものを自分自身へ刷り込み、
その絶対的なパターンによって人は、苦しい感情に飲みこまれていくのです。

でも、なぜ『パターン』と呼ぶのか?

自分も、なんで?って思ったことがありました。
他の言葉はなかったのかなあと。
例えば、モノサシ(物差し)。
自分のモノサシで考えている、とよく言います。
自分も他人も、自分のモノサシでしか見れなくなって、まさに決めつけやこだわりで自分基準であることに気づきません。
すべてを偏見で見ていることで言えば、『色めがね』なんて表現もあるのかも。
そういえば、『バイアス』という言葉で理解した若い方もいました。

誰かにとってはこっちの方がわかりやすい、という言葉があるのかもしれません。
自分はやはり、長年使っているパターンという表現がしっくりきます。
思考パターン、行動パターン、決めつけるパターン、繰り返されるパターン・・・

若い人たちの話し言葉を聞いて、
聞き慣れない単語、その音の響きから、全然頭に入ってこないことがあるように、
年代によっても、また感覚的な違いからも、
どうしてもしっくりこない言葉というのはあるのだと思いました。
逆を言えば、言葉の使い方ひとつで、
何となく全体的にいい話にも不快な話にも聞こえたりするのかもしれません。

考え方の違いもあれば、感覚の違いもある。
同じ話を聞いてもみな受け取り方は当然違う、人はみな違うんだ、
そういうあたり前のことが実は私はあまりわかっていなかったんだなあと思いました。

今後の講座日程もRowingのホームページでお知らせしております→
いろいろな方と出会ってまた言葉を探し、声に出し、
まずは自分がしっくりくる響きのもので、お話ししていきたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します!



ヨンハチサンニーのクレープ 生地がおいしい!




コメント