どういう人間になってきているのか

自分はどういう人間なのか。
または、どういう人間になってきているのか。
そのことを感じさせるものが、日常の中にちりばめられているように思います。
一つの出来事でそれを感じるような単純なものもあれば、
いろいろなシーンで自分の発する言葉、とった行動、それら言動の元となっているもの、結果などから総合的に見ると、
自分はいつの間にかこんな感じになってきているなあとハッとする。

例えば、
今日は「自分は他人に甘い」ということを感じさせられるような出来事が続きました。
甘いというのは、優しさとか寛容さとか許しをもっているかのようにも感じ、
いい人っぽい響きもあります。
そのいい人っぽい感じになってきている根底には、
「自分は自分に甘くしたい」があるからなんだと思いました。

自分を厳しく律していくことができない理由の一つには(厳しいことが、いい悪いではないが)、
厳しさの中にある、つらさを怖がっている自分があります。
つらいことはしたくない、つらいことには耐えられないと思っているパターンがいるのです。
自分ができていないことを他人に要求してしまうと、自分もできる人間にならなければいけない。
できるようになるには、きっと辛いこと、大変なことが待っていると思うパターンです。

だから、自分にはできていないし、嫌だと思っていることを他人に要求するって抵抗があったのだと思う。
それは優しさとは違うし、寛容さではないし、
他人を許すというところにも、自分を許してもらうための許し(条件付き)になってしまっているのだ。
他人に甘くする自分の本性が、いろんな出来事から見えた。

自分が他人に対して甘くなっていけばいくほど、何が起きているのだろうか。
それは、自分自身に今起きている現実や怖いと感じているものから、
自分で自分を守れなくなるように仕向けていることだった。
怖さを受け入れようとする勇敢で柔軟な「私」の存在が、どうか育っていきませんように、
なんて言っているのと同様。

他人に甘くする自分は、一体何から逃げようとしたのか。
そこから逃げて、どんな人間になってきていたのだろうか。
自分に問いかける一日でした。













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