目の前にあらわれる人

自分がこの世に生まれてくる前に、
自分の魂の成長のために、自分の人生にぜひ登場してもらいたいと、
自分が困るように悩むように苦しむように、あなたにはその役目を担ってほしい・・・
今目の前にいる人たちは、全て自らキャスティングしてその通り演じてもらっているだけだったとしたら、
出会うことを避けられないのは当然だ。
その役柄は、親だったり、パートナーだったり、仕事相手だったり、友人だったり、近所の人だったり至る所にいる。

なぜこの人とはこんなに相性悪いんだろう。
なんでいつもこの人は自分をこうも苦しめるのだろう。
そういう、特定の人に何で???と思うことがあります。

自分の人生に登場してほしいと頼んだのかもしれないが、
実際生きてみると、それはしつこくて、
もう関わりたくなくて、自分の前から消え去ってほしいよ~
と今生ではもうあきらめたくなる。
だって、腹が立つし許せないし、大嫌いだし憂うつになってしまうから、
この感情を持って向きあうって簡単ではない(と、パターンが思っている)。

でも・・・自分で自分に課した約束だとしたら。
これ、クリアするって決めたんだとしたら、
それでいいのか、あきらめていいのか、また避けるのか?
いつになったら向き合うんだ?
と言われているような気がするのです。

そうやって何となくこの人あの人と、
自分の魂の成長のためにそれぞれに出会っているのだと思い出しながら(実際は思い出せないが)、
心の奥深くにしっかりと感じとっている違和感をたよりにしながら、
その違和感への理解を少しずつ少しずつ深め、
現実での今どうするかの動きを「私」が決めていくしかないって思う。

そんな世界に身を置かなくとも、深く考えずに感じずに生きることもできる。
嫌なことは何度でもさけて、思い通りにならないことにいらいらしながら、
何かをすれば一時は忘れていられるし、ストレス発散もしょっちゅうやればいい。
何かおもしろいことだけを追って、自分に都合のいい人だけと関わって、
自分の感情をゆさぶる人とは避けて生きていくこともできる。
そこにも学びはあるのだから、自由なのだ。

最終的には、魂が進みたい方向に人間は進むことになっているのかもしれない。
ここまででいいと決めてもいいのだし、
もっと自分を知りたいと思ってその違和感に向き合うことを選んでもいい。
どんな人生なら自分は納得いくのか、それにつきるのだと思います。

人生に登場してくれている人たち。
その中で苦手と感じている人たちは、自分の進化するかしないかの鍵であると思う。
苦手であった人がそうじゃなくなったときに、もうその人は役目を終えて登場しなくなり、
また新たな自分の魂が必要とする人物が表れるのだ(スタンバっている)。
ああ、何かおもしろいというか、
え、今度はこういう人が来たか・・・と思う。

今の自分に最もふさわしい人が目の前にいるだけ、です。















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