きらい、の行く末

この人大嫌い・・・と思うのは、
本当の「私」ではなくて、自分の心の中にいるパターンが思っているだけです。
だから、本当の「私」がパターンの言いたいこと、どこがどう嫌なのかをよく聞いてあげて、
理解していることをきちんとパターンへ伝えることが大事(ここは声に出して言う)。

そうしてケアを続けていると、
「私」が本当にしたいことは何なのか、
これからもずっと変わらず「きらい」と言っている自分でいたいのか、
心はゆれ動いてきます。
「私」はとても正直で、何の策略も持たず、ただ真っ直ぐに事実を受け止めるので、
次第にパターン(黒)で生きることが苦しくなり、
違うパターン(白)の方がいいと感じるようになります。
それが本来の今の時点での、「私」の選択であり、それに伴う行動があって、
ケアをするとは、そういう積極的な手当てを自分にしてあげるということです。

自分が変わると相手も変わるという経験は、
相手を変えさせようと思っているうちは全く叶わないものですが、
相手はそのままでいていいし、自分もそのままでいいと思えるようになると、何かが動き出しはじめます。
この何かというのは、本来の「私」が選びたいものです。
何を本当は選びたいのかと胸に手をあてて聞き続けること(このとき、頭を抱えるのではなく、みぞおちあたりを~)。

毎日、相手の言動にふりまわされていたパターンが、
相手の言動が変わらなくてもちょっと落ち着いていられるようになり、
それでもまだ不十分で、
自分の言動を変えていくという覚悟を持ちながら、少しずつ自分が今までとは違った動きをしてみてはじめて、
今までかけていたメガネを変えたくらい、ものの見え方(相手への感じ方)が変わってくることがあります。

結果的に、相手は何ひとつ変わっていないのかもしれませんが、
自分が変わることで、相手も自分への感じ方は変化している部分もあると思う。
自分から発する声の感じ、目の感じ、話す内容、ふるまい等々、以前と同じはずがないからです。
自分にとっての相手の存在が大きく変わっていくと、
そのことがもうずいぶん前からそうだったかのように、
あるがままでお互いにいられることがごく自然になっていく。

本当にこれはいまだに、人生に起こる不思議体験の一つです。
科学的に証明するものはないけれど、
自分の心だけに起きる特別なしくみでもなく、
全ての人にあてはまり、宇宙の法則でもあり。
「私」で生きていくことをいつもいつも意識的に持ち続けていくうちに、
「私」で生きる割合が少しずつ増えていって、
むしろパターンに振り回される生き方の方が、不自然だと感じるようになります。
しかも、いつまでも苦しい・・・。

とは言え、小さいものも含めるといくつものパターンと共にいる「私」がいて、
それも人としてごくごく自然なあり方。
どんなパターンといても「私」は大丈夫、平気だから自然体でいられるのです。

きらい、苦手、気があわない等々、そういうパターンがさわぐ相手との関係性が変わるということは、
自分がとても楽になるということ。
楽なだけでなく、自分の住む世界が広がり、物事がよく見え、よく聞こえ、
しあわせをちゃんと今ここに感じられる自分へとなっていくような気がします。

きらいの行く末に、まさかしあわせを感じるなんて・・・
そのときは想像もできませんが~
また明日も、淡々とやっていこう。










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