意識を高くもたない

休日はゆっくり過ごしたいと思うのですが、
そのために何をして過ごしたらゆっくりできるかなって考えるのが自分は苦手です。

ゆっくり過ごしたいというのは、それだけ休日という時間でないとゆっくりできない性分ということかもしれません。
これでも大分ましになったとは思うのですが、以前は手の抜き方がよくわからなくて、
好きなことに対して過集中になってしまい(これは、気になっていることに対しても同様)、
本当にふらふらになるまでエネルギーを注ぎがんばってしまう性格でした(倒れるまでやる、みたいな)。
家に帰ればスイッチが切り替わるのですが、
そのスイッチの効きが微妙に切り替わっていかないときがあり、
身体こそ動いていないけれど、だらだらと頭をずーっと使っているということもあります。
何かわかるまで考えぬきたいと思ってしまうパターンがあるようです。

そんな日々が続くと例外なく、疲労がたまり、睡眠の質が低下し、目の下にくまが出没し、頭痛がしたり、首のヘルニアが再発したり・・・
といったわかりやすい身体の症状が表れてくる。
そして、もっとわるいことは、
今日の休日は本気でゆっくりしないとやばいと感じてしまうと(疲れがピークを感じると)、
『ちゃんと休むこと』に意識が向いてしまうこと。
何をしたら、どんな時間の使い方をしたら、最高に自分はゆっくりできるのかを考える。
午前中はこんな感じで、昼は何を食べて、あそこに今日こそ行ったらいいか、それともこっちに行った方がいいか、
夕方は何時には家に戻ってゆっくりした方がいいか、頭を使わない本なら読んでもいいか等々。
いい一日にしたい意識がハンパない・・・。
何をしたらベストかをいちいち考えて頭を使い過ぎて、また忙しくなっていたり。
これは自分にとってあまりいい兆候ではないです。

もっと、意識を低~くもつ方がいい(休日に関しては)。
朝ご飯を食べたら何となくまた布団に入ってごろごろして、
お風呂に入ったりしてもまたパジャマを着る。
何もしないうちに夕方になって、
ぶらっと目的もなくドライブをしたり、
やらなきゃならないことはできる限りやらずに、
本当に無駄だと思えるどうでもいいことをして何時間も過ぎていた〜
こんな休日を無意識に送っていた時の方が、明日への活力へとなっていくという事もあります。

これをやりたいとか、ここに出かけたいとかいう楽しみや、済ませなければならない用事を終えるのも達成感があっていいのですが、
完全に何の予定もなく、何の生産性もない休日を月に数日つくるというのは、
自分のトリセツ(取扱説明書)として大事なポイントです。











コメント