シンプルではない暮らし

シンプルライフの会が再開しました。

身も心もすっきりと軽やかに、シンプルな生活を送っていきたい、という集まりなのですが、ヒントとなる本がありまして、はじめて参加する方はその本の感想をお話しするところから始まります。


今回参加された方は、「この本に書かれていることを要約すると、物をためこまないような小さな家で質素に暮らすこと、そこで得られる一人の時間を楽しむことを勧めているようだが、自分はそれがいいとは思ってはいないのです・・・」と言っていました。

部屋数もあって無駄なものもたくさん捨てられずに置いてあるような昔ながらの大きな家が、自分には落ち着く、という人もいるし、身の回りをコンパクトにしなくても、暮らしを豊かに楽しむことはできる。

おお、なるほど・・・。

シンプルな暮らしを良いこととして話が始まること、シンプルライフが好きだー、という人たちが集まるんだと、どこか自分たちは(少なくとも自分は)あたり前に思っていて、シンプルでなくてもいいと言う人はこの会には参加しないと思っていたかもしれません。

それゆえに、ちょっと衝撃が走りました。

そうか、共感だけから学ぶのではなく、反対意見(シンプルではない暮らしが好き)を聞いて参考にしていくことも良いなあと思いました。


自分の望む暮らしは、今の暮らしに満足していないために望むのでもある。

今与えられている暮らしを楽しみ、自分を取り巻くものと調和しながら作り上げるのもよし、そのままでも(すっきりしていない生活空間であっても)それはそれでよし、ということなのだと思う。

この考え方はちょっとわかるような気がします。

実家の部屋の壁塗り&片付けをしていたとき、この家がいかに年をとってからのことを考えていない造りなのかとか、北国なのになぜこんなに風通しがよい家(寒い家)にしたんだとか、それはまるで自分の家族の個々の不器用さに似ているなと思い、それがとてもおもしろいなと感じたのです。

ぶつぶつ文句を言いながらも暮らしてきた、そのこと自体が愛おしいというか、そこに住む家族を鍛えさせ、家が人を育ててくれた一面もあると思う。


今の自分がしたいと思うことは、物質的にも精神的にもシンプルに暮らすことではありますが、その方のように、周りの考えにのまれることなく「どちらの暮らしもいいんだよ」と、自分の今のあり方をはっきりと言える大人って素敵だと思いました。

自分を大事にしないで他人の人生を生きようとする生き方から、自分一人を満たすための生き方へ・・・そしてさらには、自分の存在を越えて人のために生きたいと思う自分になっていく、そんな仕組みがこの宇宙にはあるらしい。

その過程として、暮らし方にこだわりたい自分がいるのもまたいいかなと思います。










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