続けること

昨夜、テレビをつけたら、志村けんさんのドラマが放送されていました。
いまだに亡くなられたことが信じられなくて、『8時だよ全員集合』時代から『志村動物園』、朝ドラ『エール』、まだまだテレビで会えるんじゃないかと思ってしまうほど、
その大きな存在感とユーモアと温かい人柄が大好きでした。

わたしは志村さんが共演する方たちに言った「続けていれば・・・」という言葉がとても胸に響きました。
続けることって、自分も含め現代の人たちにとってとても難しさを感じる言葉ではないのかなと思うのです。
続けるためには、もっともな理由、モチベーション、続けられる時代背景と環境、その先に到達できるものがあるのかどうか等々、
いくつかの条件のもとに成り立つものだと考えてしまうから。

続けるのかやめるのか、誰にでも迷う時ってあると思う。
やめたとき、じゃあどうなる。
続けることへのメリットって何?と、いろいろなことを天秤にかけながら考えます。
その先にある自分の姿が想像できないために、何の確約も保障もないまま未来に進んでいっていいものなのかどうか。
戻るなら、やめるなら、変わるなら、少しでも早い方が若い時の方がいいのではないのか、とも思ってしまう。

何か一つのことを一度しかない人生において、選択するのは自分であって、その自分が下す判断は間違っていないのだろうかと、
自分自身に自信を持てないから迷うのだと思う。
でも、自分に自信を持って生きている人などいないし(物事によっては自信をもっていることはあるかもしれないが)、
そういう自分でいるからこそ、悩むことができて、迷いの本質をみようとする機会が与えてもらえるのだと思う。

「続けていれば・・・」の先に言っていたのは「いいことがある」です。
いいことというのは、自分が得をしたり、誰かに認められたり、ハッピーで飛び跳ねて喜ぶこととは少し違って、
もっと静かでじわーっと、ふとした瞬間に感じられる自分が生かされて生きていることへの感謝の気持ち、なのではないかと思うのです。
また、見たことがない自分自身への発見かもしれません。
それは執着することや、意地や惰性ではないところで、
続ける自分をきわめてみようという、カウンセリングへの探求心にも似ていると思いました。

知ってしまったらつまらないし、簡単にわかったと思ってしまえば成長はそこで終わる。
自分も他人もまだまだ未知の世界でわからないから、やり続けている。
先日、そういうことをわたしに言って下さった方がいて、さらに昨夜の志村さんの言葉が深く染みたのかもしれません。

これまでの人生を振りかえって、一つだけ他のことよりも長くやっているものがあれば、
それはその人の「続けるもの」である可能性は高いと思います。
それをしているときは、自分らしさがあって、嘘がなくて、もっと知りたいとかうまくなりたいとかいう向上心があって、
本当の「私」が核となって続けられるのであれば、それはもうやり続ける中で充分自分を成長させてくれるものです。
続けられる時間そのものが幸せ。








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