相手のためか、自分のためか

働くことってあたり前ではない。
特に、コロナ時代になってから、就職までの平坦ではない道のりを経てがんばってきた人たちが、そこを辞めなければならない事態になるのは、
本当にやるせない思いがしています。
その一方で、その道のさなかにいる大変な人たちと、その人生の一部にかかわれる自分は、
疑似体験としてもう一つの人生を体験させてもらっているような、かかわらせてもらえることへの感謝の気持ちがあります。

どうやったら今のその人の状況を変えていけるのか(無職という状況だけではなく)、
働くと一言でいっても、障害や病気を持ちながら、またその人のこれまで目を背けてきた部分までもが見えてくる中で、
まさしく、模索する・・・のです。
その苦しさを体験しているのは本人でしかないのだけれど、
その苦しみを生み出しているものはどこからやってくるのか観察をしていく、それ事態が、
本当の「私」が自分の心の中のパターンを観察しているように、わたしがその人を観察していると思うことがあります。

自分のことではないので、100%の理解はもちろんできませんが、理解できてなくてもいいという前提でかかわりははじまる。
謎解きをしていくかのように、自分の心にひっかかったところ(わからない点)をひとつひとつ解いていきながら、
相手を知りたい、その一心でわたしはいるのだと思う。
単に情報を集める、調べる、制度を使う、という現実的な部分よりも(そこも大事だが)、
日々ゆれ動く人の感情、そう思った感じた表れた部分の元となっているものって何だろうってその人や、関わる人たちの心に注目していく。
そこから見えたことで、自分がサポートして変えられるものがあれば行動に移していく作業。
この一連の作業が自分は好きなんだ、とも思う。

でも、この作業は、自分のパターンでやってしまうと全く別のものになってしまうので、
パターンのケアが常に必要・・・

人とかかわっていく中での自分の感情をキャッチしていくことが、結局のところ、
その人の問題が解決していくことへとつながっていく。
これは、一見関係ないことに見えるがゆえにすごいことだと思います。
相手、相手、と相手のためにと進んでいるときは何だかうまく進まず、
その人とかかわっていくさなかでの自分をケアすることに徹していくと、
いい感じで必要なものが与えられ、背中を押され、運も味方につけ、スムーズに進んでいくことって、実際に何度も経験してきたことでもあります。
相手の問題に取り組んでいるかのように見えて、結局は、自分の問題に向き合うことになり、自分を深めていくというつながり。

こんなふうに言うと、今わたしは、自分のためなのか相手のためなのか、自分をケアする理由がよくわからなくなってしまうのだが・・・
自分の魂の成長のために、すべて(今、目の前にいる就職で悩んでいる人さえも)が自分を導いてくれる者、ということかもしれません。








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