自分が創った現実

旅が終わると、いつも思うことは、
「現実に戻る」という憂鬱な感覚。
旅の最中は現実(日常)を考えずに済み、
終わると考えなければならなくなる(考えたくないから旅行に行く、訳ではないのだけれど)。

現実とは何なのでしょうか。
この言葉を使うとき、非日常にはまるで現実がないかのように感じられます。
でも、実際はそうではないかもしれない。

旅(非日常)で見た光景(自然、人々、建物、風景、歴史、出来事など)の中に、
今の仕事や、家族としての役割をはたす自分を考え、
どう実行するかも考えました。
あれ、これってすごく現実的だ・・・

そして、今日から日常に戻りそれを行動に移すと、
「自分が創ってきた現実」とは違う世界の現実
と言ったらいいのでしょうか、
極端にいうと、
まぼろしの中で行動しているかのような、なんとも不思議な感覚がありました。
まぼろし~ですから、いつもより楽に行動できている感じがします。
ただ、やってみました。という感じで。

●現実は、辛いもの。
というパターンがあります。

そこには、マイナスの意味付け
(現実ってうまくいかなくて、辛くて、厳しいもの)
があり、いつも突きつけられる(胸に刺さる)ような感じがありました。
今回そこへ、プラスの意味付け
(現実って、いろんなことが起き、たくさん試すことができて、変化を楽しむもの)
が新たに加わり、やわらかさと軽さがでた感じがします。

本来は、「現実」そのものには意味などなくて、
ただ自分が勝手に今の自分に都合よく意味をつけているだけなのですね。
ここのところを頭ではなく、
体験として感じさせてもらったような・・・

今の自分には、この新しい「現実」の哲学がとても柔軟性があって、
希望があって、力強いものとして感じています。













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