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最後の最後で・・・

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今年は本当に、あっという間の一年でした。 私事ですが、年明けに父が旅立ち、 その月に『はじめて講座』をスタートし、 後半は体力が危なかったですが~ いろいろなものに守られ助けられながら・・・ 何とか気持ちあらたに新年を迎えられそうで、ほっとしています。 今年のテーマ、自分はどうありたいのか? 常に問いかけていくことをやった一年でした。 ですが・・・最後の最後で、 ありたい自分ではなかった行動がありました。 何だか自分らしいパターンと言えばそうなんだけど、 自分のこのパターンへの理解がまだまだ不十分だったんだなあと思いました。 もう落ち着いていると思いたいパターンがいたのか、 はたまた、このパターンには顔出してほしくない!と毛嫌いするパターンがいたのか。 いずれにしても、 この国の王として(自分が自分という国のリーダーだとしたら)、 ちゃんと声を聞いてあげられなかった。 ここは、自分にとってとても大事なパターンなので、 年をまたいで語りかけていきます!(王様は年中無休) 具体的な行動が、この世の全て。 だとしたら、 考えているだけで、止まってはいなかっただろうか? 最後に行動しきれなかった部分を、来年は意識してやっていきたいな。 そういう意味でも、 年末の大掃除って、行動ありきでーとてもいい(急に思う)。 掃除というその行動の本質を、昔の人たちは知っていたのか? 身辺をきれいにして新しい年を迎える。 一年で一番あらたな気持ちになるこの時節に、 無心でやり、今自分が何を持っていて何を捨てずにいたのかもわかる。 これぞまさに「あり方への行動」だと思いました! 今年もまずまず掃除ができて、良かったです。 (いつもきれいにしている人にとっては、あたり前の話ですな) 明日はもういよいよ大晦日。 きっと夕方過ぎたらもう車はほとんど走らなくなる夜。 雪がちらほら降って、しーんと静まり返る。 この寒さと静けさが好きです。 今年一年、ブログを読んでくださりありがとうございました。 来年も格闘の日々を正直に綴っていきますので、 どうぞよろしくお願い致します! 実家の絨毯を、うん十年ぶりに新調しました!

寸分の狂いなく

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いろんなパターンを持って、 こうして生きているだけでもすでにみんな偉いんじゃないかと、 この頃本当に思う。 得られたことよりも日々つい反省をしてしまうのは、これも成長しなければというパターンだし、 もう他人からの評価や称賛、共感や承認はいらない…と思ってはいても、 ふとしたことでそれを欲しがるパターンもあります。 それら全部、自分の一部であるのだから、 大切に目を向けていつでも気づいた時はそばにいてあげたい。 パターンって、忘れた頃に突如顔を出すんですね。 おっ、出た!って感じに。 それって、忘れてはいけないからなんだと思う。 そういうパターンを持ちながら生きていくことをちゃんと思い出してもらいたいと、 パターンも思っているのかもしれません。 つい一年前を思い出すと、 他人の言動に感情がざわざわしていたものが、 今同じようなことを言われも、あれ?ざわざわしなくなったんだなあと、 変わっている自分を感じることがあります。 でもそれは、もうそこにパターンが無いのではなく、 形を変えてまた違った他人からの言動にざわざわする自分もいて、 根底にはそれらのパターンは今でもしっかりと根付いていることをただ知るのだ。 パターンが大人しくなったのではなく、 パターンにとって無視されているってものは即座に反応するようにできている。 それはもはや、宇宙のルールのように寸分の狂いなく正確なのだ。 騒ぐパターンにもう平気なふりはできないし、 平気じゃない自分でいい。 そのルールに沿って、良心に沿って、 自分はどうありたいの?と立ち止まれる自分がいて良かった。 (立ち止まった、その後の行動が肝心なところだが) 小さい頃から、両親から、周囲の大人たちから、学校から、社会から、生まれるもっと前から、 自分のパターンってどこから一体始まったものなのか。 パターンにも長い歴史ありで、 それらをクリアするまでみんな長い旅をしているのではないかと思ったりします。 また一年経ったら、 今感じているざわざわはもうキレイすっきりなくなりましたー! というものではないし、 ひたすら、ざわざわ、イライラ、ドキドキするものを感じながら、 静かにパターンの話を聞ける「私」で居続けたいなあと思う。 一年後も、今よりもっとそこへの過程を楽しめる自分でありたい。 モンブランケーキと見せかけて…プリンでした!

もう、それは、ない

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もうそこから降りていこう(やめよう)と思うとき、 その反対のことが起きたりします。 反対勢力?的なものが動き出し、自分が試されているような感じも無きにしも非ずです。 「こうしよう」と決めたときは、 意外と本当にはまだその覚悟はなく(まだ決まっていない)というか、 意識的に自分をそっちの方向へ歩いて行くように操作している感じがあるかもしれません。 そうではなくて、 もっとそっちへ行こうという自覚などないほどに、 「気づいたら、こうなっていた」と後から思う時の方が、 すでにそこから離れていたんだなあと思います。 そして、反対勢力的なものなどもなかったように(あっても大したことないほどに)、 すでに何か以前とは違う見え方感じ方が自分の中で起こっているのです。 試されるような出来事ではなく、 むしろ「私」に協力的な出来事が起きていくというか。 そういう意味では、 限界までやってみる、突き進んでみるというのも(命に別状がなければ!)悪くはないのかも。 おそらく何かしらのパターンでやっていたり、 もう、パターンではないところでやっていたとしても、 事態が変わるという分岐点までは、ある程度の量と質(時間と体験内容)が必要で、 そこがあふれる瞬間が、心が変わるタイミングでもあるのかなと感じます。 だから、迷っている間や悩んでいる間は、 まだそのあふれるタイミングにまできていないというだけのこと。 考えに考え、行動を変え、言動を変え、 悩みながらそれが落ち着いたりまた騒いだりと波がありながらも、 毎日をまあなんとか過ごせている、そのことを充分にやり尽くしていけばいい。 そのうち、 そういうところでは、もう、ない。 「もう、それは、ない」という感覚が突如現れるかのようになるのですが、 水面下ではそうなるための準備が進められ(準備電位ってあるらしい)、 なるべくしてなったかのように見えるかもしれません。 だから、自分がどこを目指して生きているのか(どうありたいのか)、 そこをいつも思いながら自分の行動を変え、 どうありたいのかで毎日の自分を見ていくのをやっていくのは自分にとって大切なこと。 どういうことを学びたいのか?(または、学びたくはないのか?) それによってどんなことが起こるのか、 天が(「私」が)決めているのでしょう。 あとは自分が明るく進んでいけばいい。 娘の誕生祝いに、RHI...

小さなことから

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今朝の盛岡は久しぶりに青空が広がり、 その分冷え込みました。 このキリッと顔が凍るような痛いような寒さは、 昔より暖かい冬になったとはいえ、小さい頃から変わりません。 今朝冷えましたよね〜が、朝の挨拶にもなる。 毎年この時期はすでに顔が(身体も)カサついて痒くなるのですが、 今年ははじめて何か対策しようかなと思い、 部屋に1本化粧水をおいて、気づいたときにバシャッバシャと浴びるようにしてます。 手頃なお値段の無添加低刺激の化粧水をドーンと目につくところに置く。 この行動に出たとこで、今年は肌が大分潤っている気がします。 ちょっとした工夫でこんなに変わるなら、 なぜに今まで試さなかったんだろうと思うほど。そんな感じで、ちょっとの工夫さえも、面倒くさいと思っていたんですねー私。 やればいいものの何もしないから、万年乾燥肌でもあたり前だったのではないか? 考え方を変えるっていうよりも、 どうありたいのか?の答えとして、 生活(動作、行動、態度)が変わって考え方も変わっていくってあるのかもしれません。 ちゃんとした(すごいざっくりの言い方だが)生活の先にそれに見合った考えになっていくというか。 毎日の生活習慣が変わるだけで、 頭の思考回路がそれに合わせるかのように変わる。 (対策をすれば乾燥しない!) こんな小さなことの積み重ねでちょっと生活が豊かに楽しくなります。

降参する

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最近思うのは、 自分のいる環境、働く場所、一緒に過ごす家族・家庭、 何で自分はここに?という疑問ではなく、 本当に貴重なたった一度の人生だからこそ、 絶妙な環境だとここを選び、 ここが自分にとって最高にこれ以上なく相応しいところなんだなあと感じます。 今生は、どうしても、 ここに向き合ってねって思うような、 向き合わざるを得ない充分な環境が、これからも与えられるんだろうなあ。 どこまでが自分の意思が反映されていて、 どこまでが神の領域なのかわからないけれど、 生まれてきたからには、この今ある与えられた環境がまずは最良であると考えて、 その場で懸命に生きていくのが正解!だと。 何というか、 その方が分かりやすいし単純明快でいい。 心境的には「降参する」に近いかもしれません。 降参って、戦いに負けるようなイメージあるかもしれませんが・・・ でもそう、それです。 その今まで戦ってきたものって何だったんだ? とふと真顔になってみれば、 とてもくだらないプライドだったりします。 まるで、裸の王様のような戦いっぷりだったんじゃないかって。 そういうところからは、もう降りてもよいんじゃないか? そういうことを思うと、 今自分のいる環境が丁度いいってこともよくわかるし、 その中でがんばっている自分も何だか滑稽に感じ、周りで役割を担っている人たちにも愛おしさを感じたりします。 毎日そこで喜怒哀楽感じている自分ってホントご苦労様~って思うし、 本当に本当に毎日、自分っていろんなことに戦っていたんだなと思った。 でも、その戦いがあったから今があるとも言えるのだから、 無駄なことは何一つやっていない。 そこがこの世の不思議でもあります。 来週はもうクリスマスですね。 今年の目標の、どうありたいか?という問いかけも、 降参してみての新たなあり方・・・ということになるのかな。 あと少しの2024年を大事にしていこう! 正太郎といったら塩中華!