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プロの仕事

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白髪が年々増えてきて、美容室でカラーをしています。 カレンダーを見ながら予定を立てるのですが、 一つだけ憂鬱なことが・・・ それは、皮膚にカラー剤が付着するときに、 じりじりとしみてしまう、あの痛みです。 そう、しみるというより、痛い・・・ 私は、いつのころかカラー剤やスタイリング剤の匂いに過敏になり、 美容室には行きたいけれど、 あの空間にいるということが結構つらく感じるようになりました。 スタイリング剤はつけなければいいだけなのですが、 カラーリングはそうはいきません。染めたい、しかも明るい色に。 染めない派の人から見れば、 そんなに苦痛なら、やらなきゃいいだけじゃんと思うかもしれませんが、 うーん、それはイヤなんですね~ だからもう、自分の好きな色にするためには、 ひたすら我慢しかなかったのです。 美容師さんも、地肌にオイルを塗ってくれたり、 なるべく肌にふれないぎりぎりのところで施術してくれたりと、 ありがたいほどにいろいろ工夫をしてくれていました。 自分が美容師だったら、 明るい色をオーダーしておきながら、 「しみます!」って顔をしかめる客って、超やりずらいに違いない。 ところが・・・ いつもの私の状態を不憫に思ってくれていたのか、 刺激が弱くてちゃんと染まるものはないか? とずっと探してくれていたのです。 そしてついに・・・ あれ?全然しみない。 いやいや、まったくしみない、ということは無いだろうなあと思ったけれど、 本当にしみません。 目にも地肌にもツーンととしたあの刺激はなく、 しみないし、痛くない!! うそ~~、感動・・・。 カラー剤って、化学薬品ですから、 体にいいものでは当然なくて、そこはそうなんだと思います。 それでもなんとか、不快な思いをしないでおしゃれを楽しんでほしいと、 何かいい方法はないかと考えてくれていた美容師さん。 そして、この方法なら、髪の毛も傷みにくいし苦痛も少ないし色も近い。 私が来店したら試したい!と思っていたそうです。 自分の知らないところで、そんな努力をされていたんだなあと思うと、 本当にうれしかったです(ちょっと泣きそうになった)。 そして、さすが、プロ。 いかにそのお客様の希望を叶えてあげるのか、 少しでもその人のいい感覚(センス)を大切にしながら、 元気にいつまでも美容室に来てほしいと願ってくれているのでしょうか...

年季の入った夫婦

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先日、しばらくぶりに父と会って来ました。 もう一年くらい前からでしょうか、 私のことが分からなくなっているような感じがあり・・・ それを実感するのがちょっと悲しくて、 父には会いたいけれど、会いたくないような複雑な気持ちになり、 しばらくホームへの足が遠のいてしまったことがありました。 毎回、どなたですか?的な顔をされると、 私も慣れてきたようでいて、まだやっぱり慣れないです。 (今日は、調子が悪かっただけなんだと思いたい) でも今回は、母を一緒に連れて行ったので、少しだけ期待がありました。 いかにも、母娘で来ました!私はあなたの娘ですよ~ という雰囲気を見た目で出してみたのです。 すると母は、それでも私にピンときていない様子の父に向かって、 「ほら、まーちゃんでしょ!わかるでしょ」と、 こちらが思う以上に父に気合をいれます。 妻ってすごい・・・ 夫の今の状態がどうであろうと、 夫婦の力関係って不動なんですかね。 父は母の言葉に押されて、 わかったふりをしているような感じになって、とりあえずうなづいていました。 絶対、わかっていない・・・ お父さん、いいよ、無理しなくて・・・ と思う私のそばで、まだ母は容赦なく父にげきを飛ばす。 そんな年季の入った夫婦の姿を見ていると、 逆に父を励ましてあげたくなりました。 一緒に暮らしていたころの、 母の強引さにいつも負ける(負けてあげる)優しい父が今もここにいます。 父が自分を見ても名前を言わなくなったり、 顔をじーっと見た後にそっぽを向いたり、 いろいろショックにはショックだったのですが、 それでも思ったよりは、自分自身がこういう事態によく適応しているなと感じます。 もっと、泣き狂うとか、現実が受け入れられないかと思っていましたが、 そうでもなかったです。 これは、今までもうたくさんパターンへの語りかけをしてきた賜物だと思いました。 父は、歯が結構無くなってしまったので(年を取ると歯って抜けるんですね)、 あまり食べれなくなったということもあり、 しばらく見ないうちにまた痩せて小さくなっていました。 でも、それ以外は、顔色はとてもよく、心は穏やかそうに見えました。 そして、何と表現したらいいのか・・・ とても幸せそうな、仏様のような顔をしているなあと(耳たぶもでかいし)。 手をにぎると、 私の手がとても温かったからなのか、 び...

自由なあり方

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子育てでのあり方、妻としてのあり方、仕事でのあり方など、 その時によって行動としては違うものがあるかもしれませんが、 でも大もとのところは、 パターンではなく本当の「私」が選ぶもので生きたいと、自分は思います。 でも、自分のあり方は自分だけのもので、 他人からしてみれば、 それは違うもの、正しくないものだったりします。 人によってどうありたいか?という問いの答えは、自由なんだと思います。 表現方法は違えど、「パターン」と「私」を分離させ、 何かのきっかけがあって、自分の真のあり方を考えるようになる人もいると思います。 どうしてもパターンって引き寄せるエネルギーが強力なため、 それとは思わず、パターンがこうしたいということを、 本当の自分の生き方のように思ってしまうことがあります。 そうした方が自分は幸せ、それが無難、今までもそれでやってきたんだ。 だからこれからも、これでいい・・・ というような過去の自分の延長で、思いこみをもってしまうこともあります。 そういうものを見てしまうと、 自分自身が少しざわざわしてくるのがわかります。 何のざわざわか・・・? きっとこの人の本音は違うところにあるのではないかと感じるとき、 それをほっとけなくなってしまうような感覚です。 そうじゃないものがあるとか、それは本来のあなたではないとか、 私の心の中はざわめく。 これこそ、自分のパターンなんだと思う。 その人によりよく生きてもらいたい。 こんな風になってほしい、気がついてほしいと思うパターンがあるのだと思いました。 つまりは、自分のあり方が正しく、 あなたのは間違っているということを言っているんですね。 他人が決めた選択を、自分のパターンで見ているんだと思いました。 それは、相手ではなく、自分が自分を見失っている状態ともいえます。 自分と天をつなぐパイプの中に、他人を入れているのです。 おそらく、幸せになってほしいと思うような相手であるからこそ、 自分のパターンが発動してしまうのだと思いますが(どうでもいい相手では、たぶんならない)、 それは結局、自分のエゴに過ぎないので、 かえって相手の進む道を妨害しているようなものだと思いました。 どんなあり方であっても、その人であって私ではないのだから、 何一つ関われるものではないだと思います。 ただただ自分の意識だけを、自分にとっていい感覚...

ひとときの時間

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今日の勉強会は、 『簡潔に話すこと』につながるワークをしました。 Kちゃんが外で習ってきたことを私たちに教えてくれたのですが、 いつもと趣向が違ってとても新鮮でした。 勉強会のあとは、FさんとK子さんとでランチ。 私は、この一か月いろいろあった話を聴いてもらいたかったので、 ランチに行く!となっただけで、 散歩に行くと言われてしっぽが全開になる犬のようになっていました。 道場のセミナーでもそうなのですが、 本題の後のお食事時間というのが、毎回楽しみで好きなんですね。 その続きの話や、そのときにしか出ない話、ときにプチセミナー的な内容もあったり。 今日は、最近の心身の変化や、今悩んでいることに対してどうありたいのか、 また、相手への自分が持つパターンなどの話をしました。 これらの話って、いわゆる世間話とはちょっと違います。 悩みごとの相談とも違うし、他人の愚痴でももちろんないし、 きれいごとでも、自分を責める話でもない。 起きた事に対しての、自分の感情を素直に正直に話している・・・感じです。 これは、あたり前のようでいて、あたり前ではないのだと思いました。 普段も、人に気持ちを伝えることってありますが、 相手にそれを言うことによって、 本当は相手に変わってほしいとか、何か返してほしいとか、 また逆に自分を卑下してそれを否定してほしいとかいう気持ちが混じります。 でもそういうものが混じらない、 話す動機に不純なものがないと言ったらいいでしょうか、それがあたり前ではないと感じたのです。 いいも悪いもなく、そのまんま思ったことを言い、 それを聞いて、そうなんだ~と今の状態のその人を見る。 その感じが、なんだかとても楽で自然で、そして特別なことだと感じました。 そして、みんなも自分も、 それぞれの課題に向かってがんばっているんだなあ・・・と。 私自身、話していると、頭の中が少し整理されていく感じがありました。 また、いろいろ緊張した体験も口にしてみると、 自分がいかにおかしいことをやっていたんだろうと笑えていました。 ほんのひとときですが、力をもらったり与えたり、そういうものが通う時間だったように思います。 お互いに切磋琢磨しながら(←この言葉がぴったり) また次へ進んでいきます。

深いところにいるパターン

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自分の感情(気持ち)はわかっても、 その引っかかるパターンが、どういうものなのか。 よーく観察しないとわからないときがあります。 いくつか、該当しそうなものを出し、 こんな感じかなと、それに語りかけをしますが、 しっくりきていないことがあります。 少し時間がたってもう一度みていく。 なぜ不快になったのか、悲しくなったのか、つらくなったのか。 どうしてそう思ったの? どういうところが嫌だった? すると、今起きていることに対しての表面的な部分ではなく、 もうずっと前から、そこには触れられずにいたパターンがありました。 触れられていない、気づいてもらっていない。 だから、かたちを変えて現れていた。 パターンにしてみれば、ずっと気がついてもらえないということは、 どれだけ深く傷ついていることか・・・ その深い傷を思うとき、 再び感情があふれ、涙が出ました。 そして、あなたをひとりぼっちにしてきてごめんなさいと、 本当にパターンに対して申し訳ない気持ちと、 もうこれからは「私」がちゃんと守っていくから大丈夫だよと、 温かくやさしく抱きしめ、 「私」がちゃんと守っていくと伝えました。 おびえている小さな子ども。 言葉が出なくて、無表情で固まっている。 そんなパターンがいました。 深いところでずっと黙っているパターン。 さわぐパターンばかりではなかったのです。 そういう我慢しているパターンもあるんだと思いました。 だからこそ、怒りも悲しみも深く、複雑になっていたのかもしれません。 やっとそこに目を向けられた・・・よかった。 感情があるからこそ気づくことができます。 どんな感情もあっていい、というのはそういうことなんだと思いました。 感情があって、パターンを見つけられて、 本当にあなたがいてくれてありがとう・・・です。