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ダメなところしかない

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仕事の話になりますが・・・ とある研修の内容を考えています。 とある・・・といっても、こころのケアに関するものなので、 普段自分がしていることをお伝えする。 ということではあるのですが、 これが、なかなか完成させられません。 もうそろそろ、あとは練習するだけ~ という段階に入らなければと思うのですが、 一つ完成させて読みあげると、また一つ二つと、直しが出てきます。 この言い回し、なんかしっくりこないな、 これだとちょっとわかりにくいかな、 等々、毎回よしOKということがないんですね(永遠に続きそう・・・)。 もういいかげん自分でも疲れてきて、 一旦休止に入ったりもしました(数日間、放置)。 開催期日が延期になったということもあって、 ゆとりが持てるどころか、 ますます模索し続けています。 それだけでなく、●人前で話すのがこわい というパターンに毎日語りかけをしています。 はじめの頃よりはだいぶ、 〇今の自分で、精一杯でやっていこう を選び、気持ちが軽くなってきましたが、 それでもふいに、おお~ダメだ緊張する・・・と落ち着かなくなることも。 こんな自分ではありますがー、 いろいろ頭も使い、直観も使い、語りかけもし、 ここに来て思うことは、 もがきながらやっていること、このプロセス自体が、 自分にはよい経験になっているということ。 それだけは、よーーーくわかるような気がします。 青くなるほど、意味のはき違えをしていたことも今回発見しました。 なんとなくわかる、で自分は大丈夫でも、人に伝えるには不十分です。 また、本当にいやになるくらい、 なんか表現がとぼしかったり・・・かみかみだったり。 ダメなところしか今のところありません。 だからこそ、がんばれるというのは良かったなあと思ったりします。 そして、もう一つの発見として、 ●人前で話すのがこわい というパターンの言い分が、当初と変わってきているということ。 はじめのころは、 声がとにかく出なくなることへの恐怖もかなりあったのですが、 それは全然パターンとしては、言わなくなり。 そのかわり、パターンも核心ついたことを言うようになってきました。 そういう変化もおもしろいなあと思います。 どうしたら少しでも興味をもってもらえるだろうか。 少しでも参加した方のためになってほしいと、そこを考えてしまいます。 自分というこの体を、 ...

用意周到

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ある仕事の予定がキャンセルになって、 ちょっとほっとしている自分がいるとき、 自分の本音が見えたりします。 本当は、行くのが怖かったんだな・・・と。 また、突然に入った予定に、 もうやるしか選択しかなく、 勝手に体や口が動いた自分をふりかえり、 こんな自分がいたんだな・・・ と思う(火事場の馬鹿力だったのか)。 どちらも自分でした(予定を入れた)ことなのですが、 後者のような体験の方が、おもしろさがあります。 一般的には、用意を周到に行えばたいていのことは、 それなりに進むような気がします。 持っていくものも準備万端で、何を言えばいいのかとか、 会う相手のことも調べる時間もあって、 シュミレーションできるから、不安も薄れるし。 でも、準備する時間もなく、 どんな相手なのかもわからず、 こういうとき、何を自分は優先していたのだろうかと振り返ると、 まずは、ちゃんと話を聞こう、でした。 またそう心が定まると、その後は心が落ち着き、 これから始まることが、何か楽しみにもなってきたように思いました。 わからないことが怖い、というのもありますが、 わかっていけるかもしれないと思うと、 希望が広がり、気持ちが軽くなります。 ああ、これって白を選んでいるときと同じだと思いました。 パターンのケアをしているときに、 黒から白を選ぶということをしますが、 そういうときではなくても(突然のことでも)、 瞬間的に白を選ぶということを、これまでもやっていたんだなあと 今更ながらですが、感じたのでした。 目の前の出来事に、 どんなカードを選んでいくか?って、こういうことだったのだ。 そして、「話を聞こう」は、 「もっとあなたが知りたい」になり、 「私も、丸裸になって話そう」になって、 その時間はとても自分にとって、意味あるものに変わったと感じました。 これは、前者であってもできたかもしれません。 準備とは、心の準備だったんだと思いました。 そこを軽くみていたんだな・・・と。 後者のようにカードを引き続けると、 こんなふうにとても充実した時間に変わるという体験。 急な予定に教わりました。 公園を散歩

そのこだわりがなければ

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自分の心の中と、自分が発する言葉や行動を一致させると、 それはとても自然で、とても自由であることを感じます。 〇もうそこにこだわり続けるのはやめよう これは、いろいろなパターンに対してオールマイティに使える白ですが、 このこだわりさえなければ、 これがなかったら~ 随分といろいろなことが楽になることか。 自然体で生きるということはどういうことか。 自由で身軽さを感じられるようでありたい。 そこに今自分が必要なのは、 こだわらない精神かもしれないと思いました。 こだわらないことに、こだわる。 というのは、また違うけど・・・ ぎゅーっと何かが自分を縛っているような感覚があったら、 体でいうと、肩こりや胸のつかえ、気を張っているような。 どこかに窮屈さを感じたときは、思い出してみようと思います。 それと同時に、 縛られていたものへの理解とねぎらいと、それがあったからこその感謝も。 それがあって、そこに目を向けることができる。 後悔するようなことも、あーやってしまった!と思うようなことも、 やはり、パターンは無くならなくてもいいのだなあと思いました。 そう思うと、自分の発する言葉がまったく違ったものに変わっていきます。 私は首のヘルニアがあるので、 結構、これがまたちょうどいい感じに?痛みだすときは、 サインだったりします。 首が回らないほど忙しく何かやっているとき、 忙しいというのは、こだわっているものがたくさんあるということなのだと思う。 自分で自分の首をしめている、っていうのもあったり。 昔の人は言い当てていますね・・・ もう、そこに居続けるのはやめよう。 解放された軽さにひたってていきたいです。 おやつの時間

新しい朝を迎えたら

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●この人嫌い、と思っているパターンの語りかけをしています。 この手のパターンに限ったことではないのかもしれませんが、 誰かが、き・ら・い、というとき、 まずは、その怒りや嫌悪感が強すぎて、 なかなかパターンの言い分も支離滅裂だったりします。 でも、感情に飲みこまれているときは、 つかみどころがないような言い分が続くので、 それでもどこからでも、話しを聞いていきます。 パターンが騒ぐというのは、 それ相応の理由がもちろんあるのですが、 それは、そうなんだけれど・・・ 「私」を使わなかった時間が長かったんだなあと思いました。 小さな怒りを感じていたのに、 それを無視し続けた結果、パターンが巨大化してしまったように思います。 なんでもそうですが、 ほったらかしにしていたばかりに、 収拾がつかなくなってしまった・・・ということはよくあります。 中身もより複雑化して、 この糸、二度とほどけないんじゃないかと思うくらいからまっている。 もっと早くパターンの言い分を聞き、 せめて、時々でもいいからパターンに語りかけていたら・・・ ここまで大きくなっていなかったかもしれません。 すでに何度も感情が揺さぶられていたのに、 ほっといていたのは、「私」ではなく、 自分に向き合いたくないとか、そんなパターンは自分は持ってはいない(認めたくない)という、 これもまた、パターンでした。 でも、それに気づいた時から、 またやっていくしかありません。 何度でも、気づいたらやり直していくことができるのです(と言い聞かせ)。 朝、目が覚めて、 今日もまた、新しい朝を迎えられたということは、 そういうことを新しくやっていけるということなのかなと思いました。 盛岡フォーラム 朝は空いてます

嫌いな理由

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映画「こんにちは、母さん」おもしろかった 以前すごく嫌いだった人がいて(今もたまにパターンは騒ぐが)、 もうここまで人を嫌うことってないんじゃないかと思っていました。 思っていたんですが・・・、 久しぶりのこのパターンの騒ぎように、 こんなに腹が立ってしかたないのは、なぜだろう? とひたすら感じてみたいと思いました。 この怒りの感情をすぐにケアはせず・・・ というより、すぐにケアなどできません。 感情の波が、もう荒波も荒波。 「私」自身が飲みこまれているので、 そのままイライラを感じながら、必死で暴言を吐かないように、 一応そこは理性で、嵐が去るのを待ちます。 大嫌いだと言っているのは、パターン。 それは本当の、本来の「私」が思っていることではないので、 「私」とパターンを分離していることに意識を向けます。 「あなたは、怒っているんだね」 「あの態度は本当にゆるせないって、あなたは思っているんだね」 この「あなたは・・」と擬人化して言ってあげるだけで、 これだけで、怒りは自分と離れたところで起きているような感覚が生まれます。 そのあと、 じっくり、怒っている、大嫌いだ!と叫んでいるパターンに語りかける。 以前の嫌いと、今回の嫌いには共通のものがあるんだと思いました。 相手が自分と違う感情や感覚をもっていることを、 まのあたりにしたというところです。 世の中には、自分と違う感情や感覚を持つ人などいくらでもいます。 たとえ同じ悲しみでも、 その感じる深さや表し方がまったく同じという人はいないので、 自分と同じ気持ちになってほしいという方が無理なこと。 なのに、なぜ、自分と違う感情や感覚、表現をしただけで、 こんなに心は騒ぐのか? そこには、立場が関係していると思いました。 同じ(ような)立場であるのに、 同じ(ような)立場であったのなら、こう思うはずだ、こう言うべきだ、 という決めつけが自分の中にあったのです。 そこが同じどころか、真逆な反応や言葉や、行動があって、 私の心の中に住んでいるパターンが、猛烈に反論している・・・という感じです。 【パターンとは】っていうお手本になるような出来事だと思いました。 ~すべき、~してはいけない、~が普通、~なはずだ。 というものが、ことごとく叶えられず、 さぞかしパターンは怒り心頭だったことか。 自分と同じであってほしい。 同じよ...