新しい朝を迎えたら
●この人嫌い、と思っているパターンの語りかけをしています。
この手のパターンに限ったことではないのかもしれませんが、
誰かが、き・ら・い、というとき、
まずは、その怒りや嫌悪感が強すぎて、
なかなかパターンの言い分も支離滅裂だったりします。
でも、感情に飲みこまれているときは、
つかみどころがないような言い分が続くので、
それでもどこからでも、話しを聞いていきます。
パターンが騒ぐというのは、
それ相応の理由がもちろんあるのですが、
それは、そうなんだけれど・・・
「私」を使わなかった時間が長かったんだなあと思いました。
小さな怒りを感じていたのに、
それを無視し続けた結果、パターンが巨大化してしまったように思います。
なんでもそうですが、
ほったらかしにしていたばかりに、
収拾がつかなくなってしまった・・・ということはよくあります。
中身もより複雑化して、
この糸、二度とほどけないんじゃないかと思うくらいからまっている。
もっと早くパターンの言い分を聞き、
せめて、時々でもいいからパターンに語りかけていたら・・・
ここまで大きくなっていなかったかもしれません。
すでに何度も感情が揺さぶられていたのに、
ほっといていたのは、「私」ではなく、
自分に向き合いたくないとか、そんなパターンは自分は持ってはいない(認めたくない)という、
これもまた、パターンでした。
でも、それに気づいた時から、
またやっていくしかありません。
何度でも、気づいたらやり直していくことができるのです(と言い聞かせ)。
朝、目が覚めて、
今日もまた、新しい朝を迎えられたということは、
そういうことを新しくやっていけるということなのかなと思いました。
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