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実力をだすには

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ある技能競技大会の審査員をしたときのことです。 私が担当したのは、参加者数名という小さい規模の種目でしたが、 それでも選手たちには緊張がみえました。 「良いところもちゃんと見ますので、ミスしても焦らず普段通りにやってくださいね!」 と少しでも実力を発揮してもらいたくて、そうお話しました。 話してすぐに、 それが一番むずかしいことなんだよね、と気づく・・・ はじめはギャラリー客もほとんどいなかったので、 適度に落ち着いた空気の中、順調に競技がすすんでいきました。 そこへ、競技中の選手を撮りたいという方たちがやってきます(写真はOKになっていた)。 少しギャラリーが増えたなあという印象でしたが、 その選手も大きな声であいさつをし、スタート。 そのあと、ギャラリーの変化には気づいていなかったのか、 顔をあげ、選手は自分の進む方向を見て、ハッとしてしまいます。 なんとまあ、さっきの何倍もの観客が集まっているではありませんか!! 観客のすぐそばを通るという場面では、とても緊張したのでしょう、 一回目はできていたことがまったくできなくなってしまい、 大きく減点になってしまいました。 その後もミスが続きます。 こんなにたくさんの人から見られるということは、 選手も予想していなかったのだと思います(私もびっくりした)。 大会なので、人がいてあたりまえなのですが、 普段の生活の中では、 そうそう無いことかもしれません。 実力は、普段通りならば出せるのでしょうが、 そうではなかったときは、もうだせない。 ということなんだろうかと思いました。 自分がたくさんの人から見られるというとき、 緊張が走り、心臓がばくばくして、 今やっていることにもう集中できなくなくなってしまいます。 そうなったときにこそ、チャンスです。 ここからどうやっていくのか?なのだと思いました。 自分を見失うという事態は、よ~~くわかるし、 それでもいいのかもしれません。 でも、競技としては、 ここから立て直していかなければならないです。 日常は、競技ではないけれど、 この感覚は必要かもしれないなあと感じました。 ピンチの場面でも、本来の自分に戻っていけるということを、 こういうときこそ勇気を使ってやってみる。 恥ずかしくて緊張して不安になってはいるけれど、大丈夫だと感じてみる。 まずは、いっぱい深呼吸をして。 ざわざわ...

転職の魔王様

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犬岩! TVドラマ【転職の魔王様】を見ています(まだ第2話)。 転職を希望している人へ、 冷たくも核心をついたことばを投げかける、 成田凌さん演じるキャリアアドバイザー(魔王様)がとてもおもしろいです。 転職したいと言ってくるお客様に、 この人の転職の動機は何か? ドラマのはじめと終わりで、人が働く理由というものが変わっていきます。 いつも嫌なことにぶつかるたびに転職を繰り返す。 今よりもっといい人間関係の中で働きたい。 自分の能力はこんなもんじゃないと、いい会社ないかなと探す。 またはその逆で、 自分には取柄がなにもないから、このくらいの会社が楽だろうと選ぶ。 よく、辞めた理由を聞かれることはありますが、 志望動機とは違う、どんな人生を送りたいのか? という問いを投げかけていく感じです。 会社が、仕事が、人が、 自分自身がいやだから~の転職と、 自分の幸せを真剣に考えての転職では、まったく違う将来があります。 第1話では、 パワハラを受けて転職を決心した主人公に対して、 「今のあなたでは、どこに行っても何も変わりませんよ」と、 「また社畜のように働くだけです」と、きつい言葉を投げかけます。 第2話では、 その主人公が、魔王様の部下(アドバイザー)となります。 入社して毎朝事務所の掃除を率先してやり、 夜中までお客様のためにサービス残業を行い、とにかく一生懸命働くのです。 そんな健気なとも言える主人公に、 「人が喜んでくれることや、望むことをするのではなく、 自分の本音や望みを知ることが、何倍も大事なのじゃないのか」 と、これまでの価値観をばっさり切り捨てます。 本当にそうだなあと思いました。 人のためになること、喜んでもらえること、相手を不快にさせないこと。 自分より相手に機嫌よくいてもらいたいと一生懸命がんばる人もいます。 それが悪いということではなく、 誰のための仕事なのか、誰のための人生なのか。 自分のために何かをするということが、 他人ばかりを見て生きていると、 そこから変わることが怖くなってしまうのかもしれません。 そして、「誰かのため」の方がなんとなくいい人っぽい感じもします。 また、過去は忘れて、新しく生きよう! というのはポジティブに見えますが、 忘れてはいけない、スルーしてはいけないものもあります。 ネガティブな思いをしている自分を取り残して、先...

きっと大丈夫なんじゃないか

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岩手のお酒 南部美人 私は日本酒が好きです。 ビールよりも酎ハイよりもワインよりも。 強くはないですし、あまり量も飲めないのですが、 居酒屋に行けばどんな日本酒があるのか、 メニューを見るのも楽しいです。 でも若い時にこの写真のお酒を飲んだときは、顔をしかめ、 甘口と書いてあるのに、辛~~~いって思い、飲めませんでした。 たしか、親戚の法事ではじめて口にしたと思うのですが、 香りを嗅いだときは飲めそうだと思ったのに、 辛すぎて、酒の味全開で(だって、酒だから)! 日本酒のおいしさというものが、 まったくわからなかったのです。 そんな舌をもつ私が、 あれから、うん十年経って・・・ 日本酒の種類がわかるとか、銘柄をあてるとか、 そういうことはいまだにできませんが、 美味しい日本酒を用意し、おつまみを作り、 月に2~3回程度でしょうか、家飲みをするようになりました。 この時間がとても楽しく、やすらぐのです。 この南部美人というお酒も、 衝撃の初飲みから、今では、 甘口で飲みやすいなあと感想もかなり変化しています。 子どものころ食べれなかったものが、 大人になって食べられるようになることがあります。 以前は苦手だったものが、 いつのまにか、大丈夫になっているどころか、 好きになって楽しめるようにすらなっている。 そういう、その時は思い描けないようなことが、 何年か経って変わるということを体験していると、 今はとても無理だ、と思っていることも、 いつか何かのきっかけで少しずつ変化するかもしれません。 自分がそうなりたいと思っていなくても、なる。 ということが起こるかもしれません。 それが、一見いいことに見えなくても、 きっと大丈夫なんじゃないかと思えてくるのです。 10年後の自分。いえいえ、3年後、1年後だってまったくわかりません。 でも、他人とくらべず、 自分のパイプの中を、せっせと磨いている途中で、 曇って見えなかったものが見えたり、通りがよくなったり、 自分が想像しなかった風景を見れているかもしれないのです。 それがわくわくするものでなくても、 どんなものであっても、 そこに、今より正直になっていられる自分がいるといいなあと思います。 お酒の話から、ぶっ飛んでしまいましたが・・・ 焼き鳥は、塩とタレ両方

「本当は・・・」はいらない

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八ッ場ダムってかっこいい! さらっとちゃんと 言う。 ということを日常の中で意識しています(ただいま、練習中)。 今思ったこと感じたことを、後からではなく、今、言った方がいいなとか、 なんかよくわからなかったから、後じゃなく今、聞こうとか、 少しそこに間がありますが、 自分の本心の言葉を探して、それから気負わずさらっと言う。 それができたとき、 ああ、こういう感じで自分はしゃべりたかったんだなあ。 と、そこで黙ることがなんと不自然なことだったのか、気づかされました。 心の中ではじめに出てきた言葉を、 そのまま使うときもありますが、 黒パターンが言っていることもあるので、 それを察知したときは、間をおき、白パターンに置き換えて言うように注意しています。 後から、あのとき本当はこう言いたかったとか、 本当はここを聞きたかったとか、 『本当は・・・』という部分が(実際に口に出して言わなくても)、 これまでかなり使ってきたように思います。 この、『本当は・・・』という部分、くせものです。 使えば使うほど、 自分への正直さや誠実さが失われていく気がするのです。 本当は、といっている自分が嘘くさいのだ。 今、言えば、聞けば、いいことを、 わざわざ後から、言うべき相手ではない人に言ったり、 聞くべき相手ではない人にたずねているのですから。 たとえ、誰にも言わずとも、 自分自身が、本心に蓋をして感じなかったふりをしていることにもなりかねない。 言いたいことを言えたり、 わからないことを聞けたりしたとき、 それでもやもやが解消されるということもありますが、 それ以上に大事なのは、 そんなふうに行動に移せたということ。 言えた、聞けた、というのが、 これまでとは違う、人との流れをつくるような気がしました。 そして、とても自分自身が身軽になっていくようです。 その場で、一つ一つが消化され、 次に進んでいけるような、道が開けていくような気がしました。 そして、また周囲も、 同じように、思っていることを言ったり聞いたり、 ということが自然発生してくるように思いました。 自分ひとりでも、その場の風通しってよくなるものなんですね。 一人の力は、意外にも大きい!! 自分の(パイプの)通りをまずはよくすることを、 やっていこうと思います。 吸い込まれそう~

みんな守られている

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銚子電鉄の終着駅 無事に家に着いて、 やっぱり家のお布団で寝るのが、一番落ち着くなあと思います。 昨日から仕事もはじまり~、 思ったよりも自然に時間の感覚がもどっています。 (って、海外ではなく日本ですから・・・) それで、あらためて今感じていることは、 毎日の生活でも、旅行でも、どこにいても、 みんなが何かに守られて、そこにいるんだなあということ。 私だけでなく、 夫も、娘も、両親も、友人も・・・みんながみんなです。 天気予報では、連日大雨だったり、真夏日だったり、 出かけるにはあまりいいタイミングではなかったのですがー 車のトラブルにもなんとか持ちこたえ、 お天気にもさほど影響されず、 熱中症にもならず、 多少の筋肉痛があったくらいで(伊香保の階段が効いた~)、 こうしてまた、いつもの日常に戻り過ごせています。 本当にありがたいことだなあと思いました。 旅に行く前の普通の暮らしに、 ちゃんともどれている。 それが、 本当はすごいことではないかと思ったのです!! 守ってくれている方々がいて、 私たちは日々過ごせているのだと思いました。 それが、今回の旅で一番ありがたく、感動で、 心にじわじわと感じられたことのひとつでした。 母親にお土産を届けに行ったときも、 どこに行ってきたの? となんども繰り返し話す様子に、 ああ、いつもの母だと、ほっとするような気持ちになりました。 旅をすることで、 自分にはこれ以上ないほど自分に合った生活が、 ここにあり、そして守られていたことを気づかされました。 非日常を体験することで、 わかるものなのかもしれませんね。