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カウンセリングっていい

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今日はカウンセラー仲間との勉強会でした。 久しぶりに、ペアを組んで30分間のカウンセリングをしてみました。 まずは、クライアント役になってみます。 わたしの場合、相談したいことはもう決まっていたので、 今、悩んでいることを、ほとんど頭を使わず、 気づいたら、ぐいぐいと不満を爆発させていました(笑。 そして、話すほどに、 自分の苦しみを目の前のカウンセラーさんにわかってほしいと、 一生懸命話している自分がいて、 話しながら、救いの言葉を求めているような自分(これ、パターンですね)もいました。 一通り、言いたいことが言えて、 少し冷静になってきたとき、 カウンセラーさんから言われた言葉に、自分のパターンがひっかかります。 頭ではわかっている・・・って思うことを言われ、 ちょっと悲しくなるというオチがありました。 ああ、やはりここを自分でケアしていこう! と最後は、自分の課題が見えた気がしました。 K子さん、ありがとう!! そして、今度は自分がカウンセラーの番です。 クライアント役のHさんの話に、耳を傾けます。 一つ一つ、こういうことなのかな?と、 言葉の意味を聞き返し、確認しながら、自分の中で咀嚼していきます。 Hさんのとまどい、もやもや、いらだち、悲しみ・・・ と、ゆれ動く気持ちも少しずつ感じられてきます。 悩むことや、そのときの考え方に共感しながらも、 Hさんが健やかにそこにいられるように、 また、Hさんの持っているもの(資質)が、発揮されていきますように。 そう思いながら、お話を聴いていました。 カウンセラーは、 聴く、話す、反応する、わからないことは訊く、自分の感情は一旦横に置く、 といったことを繰り返しながら、 純粋な共感を持ってカウンセリングを行います。 今の自分の精一杯の感性を使いながら、 少しでもクライアントさんが、 話して良かったなあ。 と、ほっと肩の力が抜けるような、 素の自分にもどる時間にしたいと思っています。 聴く側の心構えというか、 自分の純粋さの部分がとても表れる瞬間でもあります。 でも、その緊張感や神聖さが、 私はとても好きなんだと思いました。 Hさん、みなさん、ありがとうございました!! 今日は、どちらの役もやってみて、 この対話の中でおこることすべてが興味深く、 そこにおもしろさを感じずにはいられませんでした。 深く深く自分の内側を探求...

他人の変化

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何年ぶりかで再会したその方は(仕事で会う方)、 とてもパパらしくなって、 やさしい笑顔がたくさんありました。 当時は、とても忙しそうで、 会うときはいつもノートPCに向かいながら話しをし、 事務的で、感情が見えず、なんだか機械のような人だなあと。 ところが、今は、 子育て真っ只中の大変さを笑いながら語り、 でも子どもたちが可愛くてしかたないという優しさが、全身からあふれます。 生まれてくる赤ちゃんの数が年々減っていることや、 物価高の話、これからの企業が地域になにができるのか。 以前はほとんど話題にしなかったことを、 自然にお互いの考えで語りあうことができました。 これほどまでに、 この方を変えたのは何? 結婚、子育て、仕事の変化、他にもなにかあったのかもしれませんが、 今まで生きてきた世界とは違う世界に、今は生きている。 そんな感じがしました。 体験というものが、確実に人を変えたのだと思います。 そして、 自分がその方をそんなふうに思ったように、 相手もわたしを、変わったなあと思ったかもしれません。 当時は、障害者雇用の問題を相談していたのですが、 わたしからは、相手の非を問題にするような話で、 受ける方は、あまりいい感じではなかったと思うし、 相手を責めるような発言もあったと思うのです。 わたしがその方を『機械みたいな人』と思っていたのは、 そういう態度をさせていた自分がいたということ。 きっと、機械的に対応しなければ、 感情的なわたしには物事が進まない・・・と思ったのではないか? 変わった相手の理由を探しだしたかと思うと、 今度は自分を観察しだす自分がいる。 最後はやはり、 自分に問うように、そこに戻るようにできているのかなあと思いました。 人の振り見て我が振り直せ。 他人よりも、まず自分を見よ。 今日の再会は、 これを思い出させるためにあったのかも。

魂のピアニスト

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フジコ・ヘミングさんのピアノコンサートに行ってきました。 今年91歳になるそうです。 TVで見たときは杖を使って歩いていましたが、 今は歩行器を使っているのですね。 ゆっくり手で押しながら、舞台のそでから登場です。 その姿は、年相応の姿といえばそうなのですが、 ピアノを弾きはじめると一変。 すべてを包み込むような優しさと強さと、 柔らかで美しい音が、私の心をなぐさめてくれます。 最後の曲『ラ・カンパネラ』は、フジコさんそのもの。 なんと表現したらいいのかわかりませんが、 ピアノとフジコさんが一つになっているかのようでした。 衣装も、今回とても楽しみにしていたことの一つ。 前半は、真っ白いレースが施されたウエディングドレスのような服をまとい、 それが、ふわふわした金髪の髪の毛と合っていて、とても素敵でした。 後半は、日本の色、深緑、茜色、山吹色が大胆に模様された着物。 よく見ると袖口を銀色の生地で縫い直し、着物だけどモダンでかっこいい。 念願叶ってのはじめてのコンサート。 この日を本当に楽しみにしていました。 今のフジコさんにしか弾けない音があり、 その音を、今の自分が聞けたということが奇跡だと思いました。 最近、日記にやたらと、 『魂』という言葉を登場させてましたが、 コンサートはまさに、その『魂』に触れるような時間でした。 音が体中をかけめぐり、 自然に涙があふれ、 悲しさとはかなさと、懐かしさでいっぱいになりました。 もっともっと聞いていたい・・・とても名残り惜しい時間でした。 音楽で、心をケアすることができます。 傷ついた心、疲れた心、悲しむ心、不安でいっぱいの心に、 言葉はいらず・・・ 音楽はやさしいですね。 ショパンが大好きなフジコさんは、 あるドキュメンタリー番組で、 「ショパンの悲しみが私にはわかる」と言っていました。 私は、音楽室に飾られたショパンの顔と、 この曲、ショパンが作曲したんだ!と最近やっと知ったくらいの、 本当に無知な人間です。 そんな自分でも、 フジコさんの、ショパンの悲しみがわかる・・・と言った言葉が、 とても美しく尊いものだと感じました。 私も、少しでも人の悲しみが想像できる人間になっていきたい。

ケアする方法

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ーケアをするー この言葉、いろいろな意味で使われていると思います。 ケアというのは、 メンテナンスする、いたわる、手入れをするということですが、 お世話をするという意味もあります。 この意味でいうと、 『自分へのケア』とは、自分が自分自身のお世話をするということになります。 では、どんなふうにお世話をしてあげたらいいか? 肉体的なところでいうと、 体を(頭も)休ませる。リラックスする。 充分に疲れをとってあげることです。 お風呂に入る、のんびり過ごす、暴飲暴食をやめる、出かけない、散歩する、適度に体を動かす、SNSを見ない、寝る・・・ ほかに、マッサージに行ったり、エステに行ったり、 人の手で何かをしてもらう、体をゆだねてみるものも、 たまにはいいかもしれません。 精神的なところも同様です。 それが自分にとって、楽なこと、ほっとすること、よい気持ちになるものであれば、 どんなことでもいいと思います。 自分だったら、 犬をなでる、花を植える、海を見る、喫茶店でぼーっとする、おいしいものを味わって食べる、美術館、コンサート、温泉、ドライブ、無心に掃除・・・ とにかく、 なんかいいなあ~、癒されるなあ~、気持ちいいなあ~、楽しいなあ~、 または、なんて素晴らしいんだあー って頭が空っぽになるような感動もいい。 心にじんわりと、自分にとってよい感情が染み入るようなことは、 すべていいのだと思います。 ほっとして、心が開かれていくようなすがすがしい感じがあれば、 かなり体も心もリフレッシュされています。 ここで一つ、大切なことがー 自分のケアをしようと思うとき、 そう思った、なにかしらの理由がかならずありますね。 なんとなく疲れた、むなしい、悲しい、寂しい、腹が立った、いらいらする、 誰かを恨む、ゆるせない気持ち、ただただつらい気持ち・・・ そういったマイナスの感情を、 まずは充分に出す、味わうということをやっていただきたいのです。 本来は、そんな自分を苦しめる感情など味わいたくないでしょうし、 そういう思いから離れたい、早く忘れたいがために、 先ほどのいろいろなケアを自分にほどこすのだ、と思うかもしれませんがー その感情は、どこにも行き場がないまま、 消えることなく、ずーっとそこに生きているのです。 引き金となっている感情をないものにしては、 自分をお世話していくことはでき...

悲しみとともに

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悲しいことがあり、その感情をみています。 シルバーバーチの本の中に書かれている一節です。 ーーーーーーーー 悲しみは、魂に悟りをひらかせる数ある体験の中でも、 特に深甚なる意味を持つものです。 悲しみは、それが魂の琴線にふれたとき、 一番よく魂の目を覚まさせるものです。 魂は肉体の奥深くにうもれているために、 それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。 悲しみ、無念、病気、不幸感は、 地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。 もしも、その教訓が簡単に学べるものならば、 それは大して価値のないものということになります。 悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、 それを学ぶだけの準備のできていた魂にとって、深甚なる価値があるといえるのです。 ーーーーーーーー たしかに、悲しみというものが、 魂を大きくゆさぶり、自分自身の転換の機となっていくことは、 これまでの人生をふりかえっても理解ができないことではありません。 でも、その真っ只中にいるときは、 先など見えず、暗闇の中じーっと耐えることしかできませんし、 また、それを省略しては次の転換が来ないのかもしれません。 つらい体験でしか得られないものを、 受け取るだけの準備が今の自分にはある。 しっかりと感情と自分の体におきた感覚を感じ取り、 パターンへの語りかけにゆっくり時間をかけていく。 そんなふうに捉え、 自分自身へ語りかけられる自分であることに、 感謝したいと思いました。 人間は肉体だけではないし、 精神性だけでもない。 魂(霊的存在)という言葉に違和感を覚える方もいるかもしれませんが、 悲しい経験をしたとき、 なぜだかいつもよりも増して祈ったり、 見えないものとのつながりを感じたりする方は多いのではないでしょうか。 悲しみには、つらいだけでなく、 そういうところへのつながりを感じられる力があるかもしれません。