悲しみとともに

悲しいことがあり、その感情をみています。
シルバーバーチの本の中に書かれている一節です。


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悲しみは、魂に悟りをひらかせる数ある体験の中でも、
特に深甚なる意味を持つものです。
悲しみは、それが魂の琴線にふれたとき、
一番よく魂の目を覚まさせるものです。

魂は肉体の奥深くにうもれているために、
それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。
悲しみ、無念、病気、不幸感は、
地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。

もしも、その教訓が簡単に学べるものならば、
それは大して価値のないものということになります。
悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、
それを学ぶだけの準備のできていた魂にとって、深甚なる価値があるといえるのです。

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たしかに、悲しみというものが、
魂を大きくゆさぶり、自分自身の転換の機となっていくことは、
これまでの人生をふりかえっても理解ができないことではありません。

でも、その真っ只中にいるときは、
先など見えず、暗闇の中じーっと耐えることしかできませんし、
また、それを省略しては次の転換が来ないのかもしれません。

つらい体験でしか得られないものを、
受け取るだけの準備が今の自分にはある。
しっかりと感情と自分の体におきた感覚を感じ取り、
パターンへの語りかけにゆっくり時間をかけていく。
そんなふうに捉え、
自分自身へ語りかけられる自分であることに、
感謝したいと思いました。

人間は肉体だけではないし、
精神性だけでもない。
魂(霊的存在)という言葉に違和感を覚える方もいるかもしれませんが、
悲しい経験をしたとき、
なぜだかいつもよりも増して祈ったり、
見えないものとのつながりを感じたりする方は多いのではないでしょうか。

悲しみには、つらいだけでなく、
そういうところへのつながりを感じられる力があるかもしれません。

















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