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心が笑う

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いつもの何気ない会話をしていたとき、 わたしはこの人から助けてもらっている・・・ と感じました。 これまでも、 感謝してこなかったわけではないのですが。 何かをしてもらったという実績?や、 してもらったことの内容ではなく、 なんというか、 心のリセットをしてもらっているなと感じたのです。 それも、いいタイミングで。 いつの間にかパターンでやっている自分。 パターンで行動しているときは、疲れます。 そんなときは、その行動をストップし、 何も考えずにぼーっとして一点をみているような、 そんな時間が一日の中であります。 そういうときは、 魂がしばしの休息に入っているのではないかと思うほど、 現実であって、ちょっと現実から離れている感じ。 そこに、ときどき、 ふっと心が笑うような、 心がポッと温かくなるような声かけを、 その人はしてくれるときがあるのです。 むろん、本人は何もそんなこと思って 声をかけてはいないのでしょうが。 なにか問題を解決するとか、役立つ知識を得るとか、 そういうことではないもので、 人の役に立てるっていいなあと思いました。 そこで、その人に日頃の感謝をこめてお菓子を渡しました。 仕事を手伝ってもらったお礼に~という理由をつけて、 奥さんにどうぞ!と。 それがまた、なんで奥さんに? と笑って、ちょっと喜んでもらえたので、 素直に自分はうれしいなあと思いました。 見渡せば、自分を励ます人、鼓舞する人、ねぎらう人、 支えてくれている人、助けてくれる人がいます。 見えないものたちに守られていることは、感じていたけれど、 見えている方たちにも、 支えられているんだなとあらためて思ったのでした。

複雑に見えるものを、簡単に

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おかげさまで父も小康状態になり、 食事のときはベットから起きて、車椅子で食べられるようになりました。 食事のときの姿勢ってとても大事なんですね。 まっすぐ体を起こすというだけで、 大部スムーズに喉を通るようになりました。 食べれる姿を見れるのは、本当にありがたいことです。 ばたばたした日々が続きましたが、 こういうときに限って(これって宇宙の法則なのか?)、 本当になんで今なのか!と思うほど、急ぎの仕事が入ってきます。 しかも、これまで対応したことのないものが・・・ 先日の、延命治療をするかどうかのせっぱ詰まった状態のとき、 私は一人、少し薄目を開けた父に向かって、語りました。 これからどうしたらいいか、心細く思っていること、父ならどうするのか、 そして仕事のことも、 とにかくたくさんのことを父に話し、泣きました。 すると、父は突然、かすれた声で か・ん・た・ん・だ・・・ 「・・・簡単だ」と言ったように聞こえたのです。 ん?今のは、なに? 簡単だって言った? それって、どういう意味なのか、意味はないのか、 偶然言っただけなのか。 そのときはわかりませんでしたが、 今になってふりかえると、難しいことじゃないぞ、と言いたかったのかなと思いました。 自分が感じたこと、思ったことをそのまま行動にとっていった数日間。 もちろん、パターンはさわぎ、感情も静まらないこともあったけれど、 なにかとてもスムーズにいろいろなことが進んでいったなあと思います。 簡単なことだった、とは言えませんが、 自分がそう思っていると誰かが動いてくれたり、 動いたことにつながって、また自分が落ちついて選択できたこともあった。 いろんなことが続いたけれど、 複雑にしていかなかったことが、とても良かったと思いました。 一つのことに感じる心があって、 それを軽く明るく広がっていくようにすると、 自分の取る行動が決まります。 そして、そこから、 また違う一つを感じては(パターンが動いては)、 本当の「私」が決めていく作業が続きます。 ときに思考をフルに使って、考え抜くという場面もありました。 考え抜くというそれも良かったかもしれません。 この2週間は、父のことと、仕事のことは、 別なことのようでいて、つながっていたのだと思いました。 感じた心を落ちつかせ、自分を強くもって、考え判断していく。 起きている出来事...

祈るということ

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今日もまた父に驚かされました。 朝から訪問に来ていた看護師さんの顔を見て、 「おなか、すいた・・・」 人らしい言葉がついに出ました。 ついに食欲がでてきたのです! この一週間、 父はまだご飯を口にすることができませんでしたが、 昼食になると、今度はミキサー食をほぼ完食したのでした。 夕飯は、さらに食欲が戻ったのか、 食べさせようとした看護師さんのスプーンを奪い取り、 自分で食べたのだそうです。 父は、三途の川の手前でかろうじてとどまり、 そのうち、おなかがすいてきて、 こちらの世界に帰ってきてくれたんだと思います。 連日の歌や踊りも、まだこっちの世界にも楽しいことあるなあと、 思ってくれたのかもしれません。 むせて誤飲するのが怖いと思うと、 なかなかご飯を食べさせるというのは、 介護する側は勇気がいるのだと思います。 でも、もしも喉が渇いたり、おなかがすいたって父が思ったのなら、 むせるかもしれないけれど、食べさせてあげたい。 訪看さんと私たちの価値観が一致し、 父が食べたいと思ったときに食べられるように、 体制を整えてもらいました。 父のことで毎日の祈りも、すっかり長くなってしまいました。 具体的にお願いしたり、具体的に宣言したり、 今日一日を乗り越えたことに感謝の気持ちを伝えたり、 この時間は心の落ち着ける時間でもあります。 そして『祈る』ということについて、あらためて思ったことがあります。 祈りには、祈るその動機があって、 それが、天の意思に添うものであれば、望みは叶うのではないかということ。 天の意思は自分の意思でもあります。 そして、本当にたくさんの守ってくれているものたちがいるんだと思いました。 怖いと思うことに向き合うと、本当は一人ではないことに気づかされます。 向き合わないから、ずっと怖いんだと思う。 そこには、普段人と関わると顔を出すことがある、 ●どう思われるだろうか などというパターンの出番も不思議とないのです。 私は、父のおかげで、 父からでないと学べないものを今、教わっています。 だから、その大切な学びを、 もう少しだけ続けさせてもらえないでしょうか・・・ と祈っています。 これは、父から生きること、死ぬこと、どちらも学びたいという、素直な気持ちがそうさせています。 自分が取る行動もみな、その動機の上で動いているので、 以前の自分よりは少し...

父からの遺言

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父の容体が少し落ち着いてきました。 兄が帰郷し、兄だとわかっているかどうかは知るすべもありませんが、 一瞬頬がゆるみ微笑んでいたかのようでしたので、 おそらくわかっているんだと思います。 父は先月88歳を迎え、 私たち兄妹は、自分たちの年齢の分しか親のことを知らないし、 それでも結構な年なのでそれなりに父のことはわかっていたつもりでした。 がしかし、ここに来てはじめて知る父親の顔があったのです。 それは、 芸達者だったということ。 それを知ったきっかけはヘルパーさんの一言でした。 今日は少し調子が良かったですよ、と言われ、 私たちは「え?この状態のどこが良かったと言うの?」 と、にわかに信じがたかったのですがー・・・ ヘルパーさんが父のそばで、 ♪もしもしカメよ~ という歌をうたったときに、父が続きの♪カメさんよ~ と歌ったというのです。 声にならないような小さなかすれた声だったと思いますが、それでもその後、 首を縦に動かしながら音頭をとっていたそうなのです。 普段、父はヘルパーさんたちから、 「癒されています」とか、「なごみます」とか、「励まされています」とか言われていて、 そこまでは何となくわかるのですが、 「指揮がうまいんです」という褒め言葉が確かにありました。 ん?指揮って、指揮者ってこと? 懐メロなどがデイサービスでかかると、 ご機嫌になって指揮者のように手を振っていたようなのです。 それがうまいと、お世辞でしょうが褒められていました。 紅白歌合戦は毎年見ていたし、歌が好きなのも知っていたので、 まあそういうこと(指揮者みたいな動き)もするんだろうな~というのはありました。 でも、♪もしもしカメよ~カメさんよ~♪にはちょっと驚いてしまったので、 私と兄はすぐさま、父の好きそうな昭和歌謡曲をかけてみることにしました。 すると・・・ 反応している・・・!!! 突然、パチリと目を開け、 手を壁に向けてなにやら踊りらしき動きをするではありませんか(もちろん寝たまま)。 すごーーーーーい、お父さん!!!どうしたの!!! さらに兄が 青森民謡『南部俵積み唄』 をかけると、 まさかの手拍子をし始めました。 父が若かりし頃、会社の余興で大黒様の格好をして踊ったときの写真があるのですが、 あの踊りを再現しているかのように、 しなやかに指先を揃え、しのらせ、リズムにのって手を...

父と母を守りたい

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父が誤飲性肺炎を起こして3日目。 先日会ったときは、歩行器につかまって元気に歩く訓練をしていたので、 急に寝た切りになった父を見たとき、とてもショックでした。 普段から、もうまともな会話はできていませんが、 それでも奇跡的にというか偶然なのか、 ごくたまにわかったようなことを言うときがあり、 周囲にいる人たちを驚かせる(または笑わせる)ことがあります。 でも、今回はそんな奇跡はいまだなく・・・ ただ口を開いて、私たちに目を合わせるでもなく、 どこか一点を見つめ、うつろな感じで寝ています。 昨日は鼻から酸素を入れている管が嫌だったのでしょう、 管を外そうと手を伸ばしては、母に怒られていましたが、 今日はその元気もなく、手をにぎっても握り返してきてくれません。 こうなってくると、 いよいよもって、自分のできることは何だろうって考えます。 失う怖さと不安と、とてつもなく寂しさがこみ上げてくる自分自身を感じ、 それは父とお別れしたくないという気持ちがあることを知ります。 だから、それに語るのでした。 あなたは、お父さんとお別れしたくないって思っているんだよね。 だって、お父さんが大好きだし、 もっとお父さんと一緒にいたいし、 お父さんがいなくなっちゃったら、自分の最大の味方がいなくなってしまう、 ってあなたは思うからなんだね・・・ 怖さと不安と寂しさでいっぱいの自分。 そんな自分を「私」はしっかり受け止め、 「私」が守っていくから大丈夫だと、一人ぽっちにしないからと、 両手を広げて抱きしめる。 父は・・・ 父は今、何を感じているのでしょうか。 私と同じことをもし感じているのなら、 「大丈夫だよ、お父さん。私がついているからね」 と言ってあげたいです。 そして、不安でいっぱいの今にも泣きそうな母にも、 「大丈夫だよ、お母さん。私がついているから心配いらないよ」 と言ってあげよう。 私にできることを精一杯する。 今日まで自分を育ててくれた両親に、今度は私がしっかり守ってあげたいと思います。