父からの遺言


父の容体が少し落ち着いてきました。
兄が帰郷し、兄だとわかっているかどうかは知るすべもありませんが、
一瞬頬がゆるみ微笑んでいたかのようでしたので、
おそらくわかっているんだと思います。

父は先月88歳を迎え、
私たち兄妹は、自分たちの年齢の分しか親のことを知らないし、
それでも結構な年なのでそれなりに父のことはわかっていたつもりでした。
がしかし、ここに来てはじめて知る父親の顔があったのです。

それは、
芸達者だったということ。

それを知ったきっかけはヘルパーさんの一言でした。
今日は少し調子が良かったですよ、と言われ、
私たちは「え?この状態のどこが良かったと言うの?」
と、にわかに信じがたかったのですがー・・・

ヘルパーさんが父のそばで、
♪もしもしカメよ~
という歌をうたったときに、父が続きの♪カメさんよ~
と歌ったというのです。
声にならないような小さなかすれた声だったと思いますが、それでもその後、
首を縦に動かしながら音頭をとっていたそうなのです。

普段、父はヘルパーさんたちから、
「癒されています」とか、「なごみます」とか、「励まされています」とか言われていて、
そこまでは何となくわかるのですが、
「指揮がうまいんです」という褒め言葉が確かにありました。

ん?指揮って、指揮者ってこと?

懐メロなどがデイサービスでかかると、
ご機嫌になって指揮者のように手を振っていたようなのです。
それがうまいと、お世辞でしょうが褒められていました。
紅白歌合戦は毎年見ていたし、歌が好きなのも知っていたので、
まあそういうこと(指揮者みたいな動き)もするんだろうな~というのはありました。

でも、♪もしもしカメよ~カメさんよ~♪にはちょっと驚いてしまったので、
私と兄はすぐさま、父の好きそうな昭和歌謡曲をかけてみることにしました。

すると・・・
反応している・・・!!!

突然、パチリと目を開け、
手を壁に向けてなにやら踊りらしき動きをするではありませんか(もちろん寝たまま)。
すごーーーーーい、お父さん!!!どうしたの!!!

さらに兄が青森民謡『南部俵積み唄』をかけると、
まさかの手拍子をし始めました。
父が若かりし頃、会社の余興で大黒様の格好をして踊ったときの写真があるのですが、
あの踊りを再現しているかのように、
しなやかに指先を揃え、しのらせ、リズムにのって手を動かしていました。
たまげたよ、お父さん。

母は、会社の宴会でよく踊っていたことを知ってはいたようですが、
まさか家族の前で、しかもこの状況で、
音楽に合わせて、なんのためらいもなく自分を表現する父を見て、
本当に芸能が大好きなんだなあと思いました。

私たちは調子にのって、
今、生きるか死ぬかの話(もう長くないと主治医に言われたこと)もお構いなく、
父の好きそうな民謡から唱歌、歌謡曲をかけまくり、
表現者としての父の姿に、時に大笑いし、時に涙を流し、みんなで歌い踊り、
この数日過ごしています。
疲れたときや、乗らない曲のときは無表情になってピタッと動きが止まりますが、
おおよそ、曲がかかると目を開けて聞いている感じがあります。

兄も私も、民謡も歌謡曲も踊りも祭りもカラオケも芸能事も大好きだというのは、
父親ゆずりだったんだ!
と今この歳になってはじめて知りました。

お父さん、旅立つ前にお披露目してくれてありがとう。

歌いたければ歌え!
踊りたければ踊れ!
ためらわずに、人生を楽しめ!
自分を表現しつづけろ!

と言われているようで、それを父の遺言にしようと胸に刻んでいます。







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