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宇宙へ届け~②

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自分がいかに平凡か・・・ 以前にも先生からこのことを教えられ、 そのときは、 はい、わたしは平凡です!わかっています。むしろ平凡のちょっと下くらいです。 と思っていた。 だけど、 平凡な者は非凡な人たちの足を引っぱらないこと・・・ と言われ、足を引っぱる? そういうことをしているのだろうか。 非凡な人たちのように自分は認められたい、 自分には非凡な人と同等の価値がある(ある意味、価値はあるのだが)、 もっと非凡な人のように大事にされたい、評価されたい・・・ と満たされたいという思いが、 自分をつらく腹立たしく、悲しくさせている。 今朝に作った語りかけのパターンの声も、 もっとこうなりたい、もっとこうしてほしい、もっとこう言ってほしいということばかりが、ずらーっと並んでいた。 何もかも自分の思い通りにいくことを望むのではなく、 何もかもが起きるように起こることを願え。 そうすれば人生がうまく流れていく(誰かの足を引っぱることなく、自分の持ち場でやっていく)。 先生の言葉が、宇宙からの言葉のように聞こえてきました。 セミナーを終えた朝、 海が見たくなり、茅ヶ崎の海に行きました。 スイミーのように生きるのだ。 宇宙上にいるたくさんの仲間の中で、 平凡に生きる『点のような自分』に与えられた、その役目をちゃんと果たしたい。 そのことを、心に、全身に、魂に、ちゃんと届けたい。 今日からまた、日常という、練習に次ぐ練習への最適な場が待っています。 魂を傷つけることをしないように、 自分を一番大事に「私」がしっかり守ってやっていこう。 疲れた体を感じながらゆっくり進んでいこうと思います。 茅ヶ崎の皆さん、 ここに集結してくださった皆さん、 そして、ダイナミックにわたしたちを引っ張ってくれる先生、 ありがとうございました。

宇宙へ届け~①

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茅ヶ崎に、 魂の道場 で学ぶ仲間が集まりました。 懐かし~い顔ぶれの沖縄の皆さん、 お久しぶりの茅ヶ崎の皆さん、 初めましての個人カウンセリングを受けていらっしゃる方々と、 岩手から緊張高まる仲間と共に、 深く壮大な学びを過ごす2日間となりました。 道場の話をすると、 知らない方には???が頭に点灯するかもしれませんが、 諸々の説明をはぶいて今日のブログ書きますので、すみませんがお付き合いください。 まずは、学びの方ではなく、 約3年ぶりの大好きな新幹線に心躍りました(わくわくを隠せない)。 普段、リュックをしょわない自分は、半分遠足気分も入っています。 車窓からの眺めっていいですね~ 特に新緑のこの季節は、緑が本当にきれいで心があらわれます。 都心に近づくと、ぎゅうぎゅう詰めに並ぶ住宅やビル群。 息が詰まりそうな感じがありますが、 この建物の中に、たくさんの人たちのそれぞれの生活があり人生があるんだと思うと、 自分もその中の『一つの点』でしかない小さな存在であることを実感します。 見たこともない人がここで暮らしているけれど、宇宙を思うと、つながっているんだろうな。 そして、この『一つの点』である自分への実感が、 セミナーの最後で、大きな気づきをもたらすことに・・・。 不思議なもので、 どんな日常を普段過ごしているのかお互い知らなくても、 何に心が引っかかっているのか、それをどうしたいと思うのか、 それから先、どんな選択をして、どんな自分になろうと行動するのか、 日常のある出来事一つとっての話が、 本当にその人の在り方を物語っているなあと感じます。 セミナーの中で自分は何の話をしようかと、 新幹線の中であれこれ考えてはいたのですが、 いざ自分の番に回ってくると、頭が真っ白になりました。 皆さんお一人お一人の話を聞いていくうちに、 ものすごい衝撃がただただ自分の心を打ち付けていきます。 そして、用意していた話が全部飛ぶ・・・ 「何もできていませんでした!」 語りかけがちゃんとできていなかった。 やれていない、できていないよ、あなた! と思う自分(パターン)がいました。 そもそも、自分自身に起きていることを全然ゆるしていない。 ちゃんと心の奥深くにあるどろどろした感情をすべて残らず感じ取り、言葉に出す。 それ、やっていたか? 自分にとって大きく根深いパターン。 それはい...

自信がないだけか

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●自信がない という黒パターンがあります。 自分には人としての魅力がない、頭の良さがない、話しが下手、記憶力が弱い、理解力が弱い、体力がない、もう若くない、勇気がない・・・ といろいろ自信のない理由は続く。 これらの黒パターンに染まると、 だんだん気持ちが沈み、胸が絞めつけられるように苦しくなり、自分が小さくなっていくのがわかります。 その後どうなるのかといえば、 行動力がどんどんなくなり、話せなくなり、考えられなくなり、表情が硬くなり、 それこそすっかり自信をなくす、という自分が出来上がります。 この悪循環を変換するために、自分をケアしていくのですが・・・ 〇もしかしたら、自信がなくてもいいのかもしれない 自分には人としての魅力がないわけではないのかもしれないし、 知識がなくても、うまく話せなくても、聴く力を大事にしていけばいいのかもしれない。 忘れることがあっても、わからないことがあっても、大丈夫かもしれないよと。 「それでもいいのかもしれない」「そうなっていけるよ」など断定的な言葉ではなところで、少しずつ白に近づけていく。 自信がないと言っている黒パターンのケアの途中、 パターンの言い分である、『勇気』についてはどうするのか。 ここでまた引っかかりました。 勇気はなくてもいいのかもしれない、でいいと本当の「私」は思えるのか? 自信はなくてもいいのかもしれない、とは思えるけれど、 勇気がないのは、なんか違うように思っている自分がいます(これもパターンではあるが)。 もちろん勇気がないことが悪いこと、ダメなことではないけれど、 今の自分にはとても、かなり、いや、本当にもうこれはずばり、本当の「私」が選択したいもののように感じる。 勇気を持てる自分になっているのかもしれない、 という言葉でケアすることもできます。 ただ、これがちょっと今の自分には違和感があり(なぜならば、そうなってきていないと思っているから)、 どちらかと言えば、「持ちたい」「持っていこう」の方が真逆であるけれどしっくりきます。 自信がなくてもそこそこできることはあるけれど、 勇気がなかったからやれなかったこと、の方がいっぱいあった。 これは、自分の今年の目標に掲げたことでもあり、やはりまた向き合うことになったのだなあと思う・・・ ●自信がない、もだけど、 ●勇気がない、の方が大きいのかもしれないで...

懺悔

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         後悔していること、なかったことにしたい過去、人生の汚点・・・ と思うことはたくさんあります。 過去には戻れないけれど、今会うことができたら心から謝りたいと思う人がその出来事の分だけいるのです。 先日、ばったり再会した友人もその一人でした。 当時、ネットワークビジネスなるものに熱をあげていた自分。 こんなに良い商品、使った方がいいよと、 思い出すだけで顔から火が出るほど恥ずかしい。 話すたびに一人、また一人、大事な友人が去って行き、目が覚める。 自分のしたことに気づかされた後もずーっと、重く沈んだ気持ちは消えてはいませんでした。 友人はわたしとの何十年ぶりの再会に、ためらうことなく声をかけてくれました。 懐かしさと同時に当時の思いがすぐによみがえります。 咄嗟にあやまりました。 あのときは、本当に嫌な思いをさせてしまい・・・ごめんなさい・・・ え~何?全然気にしていないよ、と笑っていました。 自分は間違ったことをした、という思い。 ごめんねと言えたときは、 あたらめてその友人への懺悔と、 毅然とした態度であの時断ってくれたこと、 そして今こうして笑ってくれていることへ、感謝しかありませんでした。 謝罪できるチャンスというのは、ある日突然やってくるのですね。 今回のように再会する機会を与えられたなら、ちゃんと本当の「私」で真っ直ぐに謝罪したいです。 ゆるしてもらえなかったとしても、ちゃんと話せる自分でいたい。 そのために、過去をなかったことにしなくていい。 むしろ、こういう自分だから、 素直に話せる人間になるために、 あの恥ずかしい体験でなければだめだったのかもしれないです。

おたがいさま

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母はこの数日いろいろあって、ご機嫌ななめで元気がありませんでした。 こういう時は、気分転換にドライブがいいとわかっていたのですが、 自分としては今日の休みは、いろいろやることがあったので、 正直あまり乗り気ではなく・・・ それでも、母からの電話に、 「よし、早めに帰ってくればいいか~」と思い直し出かけることにしました。 昔よく父と行っていた産直までドライブし、そこでお昼ご飯を食べ、新鮮な山菜も買い、 母も少しずつ気持ちが晴れていったようでした。 そして、父とずっと会えていないという話を、スイッチが入ったかように何度も繰り返し話します。 この時点で少し疲れてきた自分。 それでも、自分も父に会いたかったので、 ここから車で30分ほどのホームへ向かうことにしました。 わたしたちを見るやいなや、元気そうな笑顔を見せる父。 ドア越しではありましたが、母が話しかけると何か言いたそうにしていました。 ああ、今日は来れて良かった・・・ これで、わたしの任務は完了だなあと思い時計に目をやると、 げーーーーー、もうこんな時間! 家に戻っていたいと思っていた時間よりもかなり過ぎていました。 ここからさらにスーパーに寄って買い物して帰るとなると、 もう今日は予定していたこと何一つできないと、 そう思った途端に、疲れがどっと出てしまい、 母のオウムのように繰り返す同じ話が、もう聞けなくなってしまいました(イライラ)。 母を元気にしたいと思って出かけたはずだったのに、 自分の都合が悪くなった途端に、立場が逆転です。 早く帰りたいという頭でいっぱいのわたしは、母の話も上の空で、不機嫌丸出し。 母は帰り際、あきらかにわたしをなだめるかのように、 「これ、今日のガソリン代だからね。今日は疲れたでしょう、ありがとうね」 と言ってお金までくれました。 いつも自分が、母のお世話をしているつもりでした。 でも、案外そうでもないのかもしれません。 母がわたしに気を使っていることもたくさんあるんだろうなあ。 お互い様、持ちつ持たれつの関係なんだなあと思う一日でした。